医薬品業界で深刻化する供給不足の問題は、あらゆる製造業にとって他人事ではありません。本稿では、この課題を起点として、不確実な時代を乗り越えるための「強靭なサプライチェーン」の構築に向けた実践的な考え方を解説します。
医薬品業界で顕在化するサプライチェーンの脆弱性
近年、特定の医薬品が市場から不足する「ドラッグ・ショートゲージ(医薬品供給不足)」が、世界的な問題として浮上しています。この背景には、特定の製造拠点での品質問題による生産停止、原材料調達の遅延、あるいは予期せぬ需要の急増など、複合的な要因が絡み合っています。医薬品という人命に直結する製品の供給が滞ることは、社会にとって大きなリスクとなりますが、この問題は医薬品業界に限った話ではありません。
日本の製造業においても、記憶に新しい半導体不足や、コロナ禍における海外からの部品調達の寸断など、サプライチェーンの脆弱性が事業継続を脅かす事態は頻繁に発生しています。これまで効率性を追求する中で構築されてきた「リーン」な供給網は、平時においては最適解であったかもしれませんが、ひとたび予期せぬ事態が発生すると、その脆さが露呈します。医薬品業界の事例は、サプライチェーンに潜むリスクが、いかに事業の根幹を揺るがしうるかを改めて示唆していると言えるでしょう。
課題解決の鍵となる「強靭なサプライチェーン」
こうした課題に対応するため、近年「レジリエント・サプライチェーン(強靭なサプライチェーン)」という考え方が重視されています。これは、単にサプライチェーンを止めないという守りの発想だけでなく、予期せぬ変化や混乱が発生した際に、迅速に代替策を講じ、速やかに回復できる能力を持つことを意味します。強靭なサプライチェーンを構築するためには、いくつかの重要な視点があります。
第一に、サプライチェーン全体の可視化です。自社の工場内だけでなく、部材を供給してくれるティア1、ティア2のサプライヤーから、最終製品が顧客に届くまでの全てのプロセスをデータで把握することが不可欠です。どこに在庫がどれだけあり、どこで生産のボトルネックが発生しているのかをリアルタイムに把握できれば、問題の兆候を早期に察知し、先手を打つことが可能になります。
第二に、供給元の多様化です。特定の部材を単一のサプライヤーや特定の地域に依存する「シングルソース」は、コスト面でのメリットがある一方、その供給が途絶えた際のリスクは計り知れません。重要な部材については、意識的に複数のサプライヤーから調達する「マルチソース化」や、生産拠点を地理的に分散させることを検討すべきです。これは、地政学的なリスクや自然災害への備えとしても極めて重要です。
そして第三に、需要予測と在庫管理の高度化です。過去の実績や担当者の経験則だけに頼るのではなく、市場データや販売実績、時には社会情勢なども加味した、より精度の高い需要予測モデルを導入することが求められます。その上で、欠品リスクを回避するための「安全在庫」や「戦略的在庫」を、どの品目で、どの程度、どこに配置するのが最適なのかを、データに基づいて判断していく必要があります。
日本の製造現場における実践的なアプローチ
これらの考え方を日本の製造現場に落とし込む際には、いくつかの現実的な配慮が必要です。例えば、在庫管理において、長年「在庫は悪」という思想でジャスト・イン・タイム(JIT)を徹底してきた現場にとって、戦略的に在庫を増やすことには抵抗があるかもしれません。しかし、これは単なる後退ではなく、事業継続性(BCP)の観点からリスクとコストのバランスを再評価する、いわば「守りのための投資」と捉えるべきでしょう。
また、サプライヤーとの関係も見直す必要があります。単にコスト削減を求める関係ではなく、リスク情報を共有し、有事の際には互いに協力し合えるパートナーとしての関係を深化させることが、サプライチェーン全体の強靭化に繋がります。これは、かつて日本の製造業の強みとされた、系列企業間の緊密な連携を、現代的な形で再構築する試みとも言えるかもしれません。
大規模なITシステムを導入せずとも、まずは主要なサプライヤーとの間で定期的な情報交換会を設けたり、重要部材の在庫状況を共有する仕組みを作るなど、できることから着手することが肝要です。
日本の製造業への示唆
今回の医薬品業界の事例から、日本の製造業が学ぶべき要点と実務への示唆を以下に整理します。
- 効率性一辺倒からの脱却: ジャスト・イン・タイムに代表されるリーンな生産方式のメリットを維持しつつも、その脆弱性を認識する必要があります。事業継続の観点から、どこに、どの程度の「バッファ(冗長性)」を持たせるべきか、戦略的に再設計することが求められます。
- データに基づくサプライチェーン管理: 経験や勘に頼った管理から脱却し、サプライチェーン全体をデータで可視化・分析する体制を構築することが不可欠です。これにより、リスクの早期発見と、客観的な根拠に基づいた迅速な意思決定が可能になります。
- 「協調」によるリスク分散: サプライヤーを単なる調達先としてではなく、共にリスクに立ち向かうパートナーとして位置づけることが重要です。平時から情報を密に共有し、信頼関係を構築しておくことが、有事の際の対応力を大きく左右します。
- サプライチェーン強靭化は経営課題: サプライチェーンの分断は、生産停止や機会損失に直結する重大な経営リスクです。調達や生産といった一部門の課題としてではなく、全社的な経営課題として捉え、継続的に取り組む必要があります。強靭なサプライチェーンは、守りだけでなく、市場の変化に柔軟に対応し、競争優位を築くための攻めの基盤ともなり得ます。


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