米国において、医薬品の国内生産(オンショアリング)を促進するため、特定の輸入品に対する関税を削減する新たな制度が発表されました。この動きは、経済安全保障を重視する米国の姿勢を明確に示すものであり、日本の製造業のサプライチェーン戦略にも大きな影響を与える可能性があります。
米国で始まった「オンショアリング協定」とは
米国政府は、1962年通商拡大法232条(以下、232条)に基づき、国家安全保障上の脅威となりうる輸入品に対して追加関税を課す権限を持っています。これまで鉄鋼やアルミニウム製品に適用され、日本の製造業にも広く影響を及ぼしてきたことは記憶に新しいところです。この232条に関して、新たな動きが出てきました。それは、特許を有する医薬品を米国内で製造(オンショアリング)する企業に対し、その製造に不可欠な輸入品への232条関税を削減・免除するという「オンショアリング協定」の申請手続きが公開されたことです。
これは、単に輸入を制限する「ムチ」としての関税政策から一歩進み、国内での生産を促す「アメ」として関税制度を活用する、より戦略的なアプローチと言えます。国家の安全保障に不可欠な医薬品のサプライチェーンを国内に確保したいという、米国の強い意志の表れと見て間違いないでしょう。
サプライチェーン強靭化という世界的な潮流
コロナ禍や地政学的な緊張の高まりを受け、世界的にサプライチェーンの脆弱性が見直されています。特定の国や地域に生産が集中していることのリスクが顕在化し、各国政府は重要物資の国内生産能力の確保を急いでいます。今回の米国の措置も、この大きな潮流の中に位置づけられます。
日本の製造現場においても、部品や原材料の調達難は幾度となく経験されてきた課題です。これまでは主にBCP(事業継続計画)の観点からサプライヤーの複数化や在庫の適正化といった対策が中心でしたが、今後は主要市場国における「地産地消」の要請が、通商政策という形でより直接的に迫ってくる可能性を認識する必要があります。
医薬品から他分野へ広がる可能性
現時点でこの措置の対象は「特許医薬品」に限定されています。しかし、この「国内生産の奨励と関税優遇」を組み合わせた政策パッケージが、今後、他の戦略分野に拡大される可能性は十分に考えられます。例えば、半導体、電気自動車(EV)用バッテリー、重要鉱物、あるいは特定の高性能な工作機械や部材なども、国家安全保障の観点から対象となるかもしれません。
米国市場で事業を展開する日本の製造業にとって、これは生産拠点の立地戦略を根本から見直す契機となり得ます。これまではコスト効率性を最優先にグローバルで最適な生産体制を構築するのが定石でしたが、今後は主要市場での生産、すなわち「マーケット・イン」の発想が、関税という直接的なコストだけでなく、市場へのアクセスそのものを左右する重要な要素になりつつあります。
日本の製造業への示唆
今回の米国の動きから、日本の製造業が実務上考慮すべき点を以下に整理します。
1. サプライチェーン戦略の再評価
米国をはじめとする主要市場向けの製品について、生産拠点のあり方を再評価する必要があります。コストや効率性だけでなく、通商政策の変更リスクや地政学的な要因を評価軸に加え、サプライチェーン全体の強靭性を高める視点が不可欠です。米国での現地生産の可能性を、改めて事業計画に織り込む検討が求められるかもしれません。
2. 他分野への拡大を注視する
自社の事業領域が、将来的に同様の政策の対象となる可能性がないか、常に注意を払う必要があります。特に、半導体関連、EV関連、防衛、医療など、経済安全保障と密接に関連する分野の企業は、各国の政策動向を継続的に監視する体制を整えるべきでしょう。
3. 「地産地消」への備え
グローバルな分業体制を前提としたサプライチェーンから、主要な経済圏ごとにある程度自己完結する「ブロック化」や「地産地消」への移行が加速する可能性があります。これは、工場の新設や再編、現地での人材育成、技術移転など、長期的かつ大規模な投資判断を伴うものです。経営層は、こうした大きな環境変化を前提とした中長期的な経営戦略を策定する必要に迫られます。
4. 通商政策に関する情報収集の強化
各国の通商政策は、専門的かつ変化が速いため、動向を正確に把握することが容易ではありません。法務・通商の専門部署や外部の専門家と連携し、自社に影響を及ぼしうる政策の変更を早期に察知し、迅速に対応策を検討できる情報収集・分析体制の構築が、今後の事業運営における重要なリスク管理となります。


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