汎米保健機関(PAHO)による、パンデミックの経験や特定コミュニティの健康情報をデジタルアーカイブ化する取り組みが報じられました。一見、製造業とは無関係に思えるこの活動ですが、そこには組織の貴重な知識や経験をいかにして未来へ継承していくかという、我々にとっても重要な示唆が含まれています。
公衆衛生分野における「知のアーカイブ」化
先日、汎米保健機関(PAHO)が、パンデミックの経験をデジタル情報として記録する「デジタル記念碑」と、先住民の健康に関する情報を集約した「仮想健康図書館(VHL)」を立ち上げるというイベントが告知されました。この取り組みの背景には、大きな社会経験や特定のコミュニティが持つ固有の知識といった、失われやすい無形の資産を体系的に整理し、誰もがアクセスできる形で後世に残すという目的があります。災害やパンデミックの教訓、あるいは特定の文化圏に根差した知見を、単なる記録としてではなく、未来の活動に活かすための「生きた情報資産」として整備しようという試みです。
製造現場における「暗黙知」と「失敗の教訓」
この考え方は、そのまま日本の製造業が抱える課題にも通じるものがあります。私たちの現場には、長年の経験によって培われた熟練技能者の「暗黙知」や、過去に発生した品質トラブルや設備故障といった「失敗の教訓」が数多く存在します。しかし、これらの貴重な情報が、個人の頭の中や、書庫に眠る古い報告書の中に埋もれてしまっているケースは少なくありません。熟練技能者の退職と共に失われる技能や、担当者の異動によって忘れ去られる過去のトラブル対応の経緯は、組織にとって大きな損失です。
公衆衛生分野での「デジタル記念碑」が過去の教訓を未来の危機管理に活かすことを目指すように、製造業においても、過去の失敗事例を単なる「恥ずかしい記録」とせず、原因分析や対策のプロセスを含めてデータベース化し、技術者や現場の作業者がいつでも参照できる仕組みを構築することが重要です。これにより、同様の問題の再発を防止し、組織全体の問題解決能力を高めることができます。
「仮想図書館」に学ぶ、技術・技能情報の共有基盤
また、「仮想健康図書館」の取り組みは、製造業における技術情報の共有基盤のあり方を考える上で参考になります。特定の製品の設計思想、製造条件の設定根拠、品質管理上の注意点といった情報は、ともすれば部門ごと、担当者ごとに分散しがちです。これらを組織横断的にアクセス可能な「技術ライブラリ」として整備することで、若手技術者の教育や、部門間の連携強化に繋がります。重要なのは、情報をただ保管するだけでなく、必要な人が、必要な時に、容易に探し出して活用できる形で提供することです。検索性の高いシステムを構築したり、動画や図解を多用して理解しやすくしたりといった工夫が、情報の価値を最大限に引き出します。
日本の製造業への示唆
今回の異分野の取り組みから、日本の製造業が学ぶべき要点と実務への示唆を以下に整理します。
1. 暗黙知の形式知化とデジタル継承:
ベテラン技能者の引退は避けられない現実です。彼らの持つ勘やコツといった暗黙知を、動画マニュアルや作業手順書、判断基準の言語化などを通じて形式知化し、デジタルデータとして組織内に蓄積・共有する仕組みの構築が急務です。これは単なる技能伝承に留まらず、組織全体の技術水準の底上げに貢献します。
2. 失敗経験の資産化:
過去の品質問題や労働災害、設備トラブルの記録は、未来のリスクを回避するための最も価値ある情報資産です。なぜ問題が起きたのか、どのような対策を講じたのか、その結果どうなったのか、という一連の経緯を体系的にデータベース化し、設計変更や工程改善、安全教育の際にいつでも参照できる「失敗学ライブラリ」を整備することが望まれます。
3. 全社的な情報共有プラットフォームの構築:
部門や工場ごとに閉じていた技術情報やノウハウを、全社的にアクセス可能なプラットフォームに集約することが重要です。これにより、ある工場での改善事例が他の工場に展開されたり、開発部門が現場の課題を迅速に把握したりすることが可能となり、組織全体の競争力強化に繋がります。大切なのは、情報を「死蔵」させず、常に更新され、活用される「生きた資産」として管理していくことです。


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