電気自動車(EV)の普及に伴い、リチウムイオン電池の製造コストと環境負荷の低減が急務となっています。本稿では、従来の製造プロセスを根底から変える可能性を秘めた「乾式電極製造技術」について、米LiCAP社の事例をもとに、その仕組みと日本の製造業への影響を解説します。
従来の湿式電極プロセスとその課題
現在、リチウムイオン電池の電極製造で主流となっているのは「湿式(ウェットコーティング)」と呼ばれるプロセスです。これは、活物質、導電助剤、そしてこれらを結着させるバインダー(接着剤)を、NMP(N-メチル-2-ピロリドン)などの有機溶剤に混ぜてスラリー(ペースト状の液体)を作ります。そして、このスラリーを集電体である銅箔やアルミ箔に薄く均一に塗り、巨大な乾燥炉で溶剤を蒸発させてから、プレスして電極を完成させます。
この従来プロセスには、いくつかの大きな課題がありました。まず、数十メートルにも及ぶ長大な乾燥炉が必要なため、設備投資(CAPEX)が非常に大きくなります。また、乾燥工程では大量のエネルギーを消費し、運転コスト(OPEX)を押し上げます。さらに、使用されるNMPは高価で毒性があるため、作業環境の管理や、蒸発した溶剤を回収・再利用するための設備も不可欠であり、環境負荷とコストの両面で大きな負担となっていました。
溶剤を使わない「乾式電極プロセス」の仕組み
こうした課題を根本的に解決する技術として注目されているのが「乾式(ドライ)」電極プロセスです。その名の通り、溶剤を一切使わずに電極を製造する技術です。米国のLiCAP Technologies社が開発したプロセスは、その代表的な例の一つです。
LiCAP社の技術では、活物質などの粉末材料に、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン、テフロンの商標で知られる樹脂)をバインダーとして混合します。そして、この混合粉末に機械的な力を加えることで、PTFEが微細な繊維状に変化する「フィブリル化」という現象を利用します。この繊維がクモの巣のように他の粉末材料を絡め取り、全体を結着させるのです。
こうして一体化した材料をローラーで圧延して自己支持性のあるフィルム(シート)を成形し、最後にあらかじめ加熱した集電体に圧着(ラミネート)することで電極が完成します。スラリー化や乾燥といった工程が完全に不要になるため、プロセス全体が大幅に簡素化されます。
乾式プロセスがもたらす製造現場へのメリット
乾式プロセスが実用化されれば、電池の製造現場に革命的な変化をもたらす可能性があります。元記事によれば、LiCAP社はそのメリットとして以下の点を挙げています。
設備投資と運転コストの大幅削減:最も大きな利点は、高価で広大なスペースを要する乾燥炉と溶剤回収設備が不要になることです。これにより、設備投資を最大で50%削減できると試算されています。また、乾燥に要していた膨大なエネルギー消費もなくなるため、運転コストの削減とカーボンフットプリントの低減に直結します。
生産性の向上:プロセスの簡素化と高速化により、生産リードタイムの短縮が期待できます。特に、生産能力のボトルネックとなりがちだった乾燥工程がなくなることのインパクトは計り知れません。
電池性能の向上:従来の湿式プロセスでは製造が難しかった、より厚い電極(厚膜電極)を安定して作ることが可能になります。電極を厚くできれば、電池の単位体積・重量あたりのエネルギー量を増やす、すなわちエネルギー密度の向上につながり、EVの航続距離延長などに貢献する可能性があります。
日本の製造業への示唆
この乾式電極技術の動向は、日本の電池メーカー、自動車メーカー、そして関連する装置・素材メーカーにとって、決して看過できない重要な変化を示唆しています。
生産技術のパラダイムシフトへの備え
乾式プロセスは単なる工程改善ではなく、電池製造のあり方を根本から変えるゲームチェンジャーとなる可能性があります。日本の製造業がこれまで培ってきた精密な塗工技術や乾燥技術といった湿式プロセスにおける強みが、そのままでは通用しなくなる時代の到来を意味します。この変化に乗り遅れないよう、技術動向の注視と研究開発が不可欠です。
新たな事業機会の創出
一方で、これは新たな事業機会でもあります。乾式プロセスに最適化された新しいバインダー材料や活物質、あるいは粉体を高精度に混合・圧延する製造装置など、素材メーカーや装置メーカーにとっては新しい市場が生まれる可能性があります。特に、粉体ハンドリングや精密プレスといった技術は、日本の製造業が得意としてきた領域であり、知見を活かせる分野と言えるでしょう。
将来技術への布石
乾式プロセスは、次世代電池として期待される全固体電池の製造プロセスとの技術的な親和性も高いと考えられています。現行のリチウムイオン電池のコストダウンだけでなく、将来の電池技術を見据えた上でも、乾式プロセスの開発・導入は重要な布石となり得ます。自社の技術ポートフォリオを再点検し、この大きな技術革新の波にどう対応していくか、経営層から現場まで含めた戦略的な検討が求められています。


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