サプライチェーンの混乱が常態化する現代において、その強靭性(レジリエンス)は企業の生命線です。欧州の著名な経営大学院INSEADの研究は、ITシステムやプロセス最適化だけでなく、組織の「文化」こそが、予期せぬ事態への対応力を左右する重要な要素であることを示唆しています。
はじめに:サプライチェーンにおける「見えざる資産」としての組織文化
近年、地政学的リスクや自然災害など、予測困難な要因によるサプライチェーンの混乱が頻発しています。多くの製造業では、需要予測の精度向上や在庫の最適化、供給元の多様化といった対策を進めていますが、それでもなお、予期せぬ事態への対応に苦慮する場面は少なくありません。そうした中、INSEAD(インシアード)とカーディフ大学の研究者らが発表した論文は、サプライチェーンのパフォーマンスを左右する要因として「組織文化」の役割に光を当てています。この研究は人道支援組織を対象としたものですが、その知見は、不確実性の高まる市場環境に置かれた日本の製造業にとっても、多くの実務的な示唆を与えてくれます。
研究の概要:予期せぬ寄付は「混乱」か「恵み」か
この研究では、災害支援などを行う人道支援組織(HAO)を対象に、組織文化がサプライチェーンの運営にどのような影響を与えるかを調査しました。特に焦点が当てられたのは、災害時に発生する「予期せぬ現物寄付の殺到」という事態です。これは、善意によるものでありながら、受け入れ側の処理能力を超え、倉庫を圧迫し、本当に必要な物資の供給を滞らせる原因にもなりうる「サプライズ」です。研究チームは、組織文化の違いによって、このサプライズへの対応がどのように異なり、結果としてサプライチェーンのパフォーマンスにどう影響するかを分析しました。
鍵となる「クラン文化」の力
研究では、組織文化を4つのタイプに分類しています。
- クラン文化:協調性、チームワーク、帰属意識を重視する家族的な文化。
- アドホクラシー文化:革新性、創造性、リスクテイクを奨励する文化。
- マーケット文化:競争、目標達成、市場シェアを重視する結果志向の文化。
- ヒエラルキー文化:規則、手続き、統制を重んじる階層的な文化。
分析の結果、極めて明確な傾向が明らかになりました。それは、「クラン文化」が強い組織ほど、予期せぬ現物寄付の殺到というサプライズにうまく対処し、サプライチェーンのパフォーマンスを向上させていたという事実です。クラン文化の組織では、部門間の壁が低く、情報共有が円滑に行われます。現場の担当者たちは、公式な手続きに固執するのではなく、互いに連携し、知恵を出し合いながら、臨機応変に課題を解決していました。いわば、組織全体が一つのチームとして機能し、予期せぬ事態を「混乱」ではなく、柔軟に対応すべき「機会」として捉えることができていたのです。
一方で、「ヒエラルキー文化」が強い組織では、正反対の結果が見られました。厳格な規則や縦割りの指揮命令系統が、現場の柔軟な対応を阻害します。予期せぬ事態が発生しても、担当者は上からの指示を待つしかなく、部門間の連携も進みません。結果として、現場は混乱し、サプライチェーン全体のパフォーマンスが著しく低下してしまいました。
日本の製造現場への示唆
この研究結果は、日本の製造業の現場を振り返る上で非常に示唆に富んでいます。かつて日本の製造業の強みは、まさにこの「クラン文化」的な風土にあったと言えるでしょう。部門を超えたすり合わせや、現場での改善活動(QCサークルなど)に代表されるチームワークは、高品質なモノづくりを支える基盤でした。しかし、組織の巨大化や成果主義の導入などを経て、知らず知らずのうちに部門間の連携が希薄になり、サイロ化が進んではいないでしょうか。
例えば、営業部門が急な大口受注を獲得したとします。これは企業にとって喜ばしい「良いサプライズ」です。しかし、生産管理や製造、購買といった各部門の連携が取れていなければ、この機会を活かすことはできません。生産計画の変更、部材の緊急手配、製造ラインの調整など、各部門が迅速かつ協調的に動く必要があります。ここで部門間の壁が高ければ、「それは聞いていない」「うちの部署の責任ではない」といった対立が生じ、貴重なビジネスチャンスを逃すことになりかねません。
サプライチェーンの強靭性を高めるというと、つい高度なITシステムの導入や精緻なプロセスの構築に目が行きがちです。しかし、どんなに優れたシステムも、それを使う「人」と「組織文化」が伴わなければ真価を発揮しません。むしろ、予期せぬ事態においては、規則やシステムが足かせになることすらあります。そうした時に最後に拠り所となるのは、部門を超えて協力し合える信頼関係や、共通の目標に向かって一丸となれる組織の風土なのです。
日本の製造業への示唆
本研究から、日本の製造業が実務において考慮すべき点を以下に整理します。
1. 組織文化の現状評価と再認識
自社のサプライチェーンに関わる部門(開発、購買、生産管理、製造、品質保証、営業など)が、どの程度協調的に機能しているか、改めて見直すことが重要です。形式的な会議だけでなく、日常的な情報共有や部門を超えた問題解決が活発に行われているか。もし部門間の対立やサイロ化が見られるのであれば、それはサプライチェーンの隠れたリスク要因であると認識すべきです。
2. 現場の裁量権と心理的安全性の確保
予期せぬ事態への対応力は、現場の即応力にかかっています。トップダウンの指示を待つだけでなく、現場がある程度の裁量を持って判断し、行動できる体制が不可欠です。そのためには、失敗を過度に恐れず、挑戦を奨励するような心理的安全性の高い職場環境を整え、現場からの情報が迅速かつ正確に上層部へ伝わる風通しの良いコミュニケーション経路を確保することが求められます。
3. 「協調」を促す仕組みづくり
組織文化は精神論だけでは醸成されません。例えば、部門横断のプロジェクトチームを積極的に組成する、他部門の業務を理解するためのジョブローテーションを行う、サプライチェーン全体のKPI(重要業績評価指標)を個別の部門評価にも連動させるといった、協調を促す具体的な仕組みや制度設計も有効です。
4. 長期的視点での文化醸成
強固で協調的な組織文化は、一朝一夕に築けるものではありません。経営層がその重要性を明確にメッセージとして発信し続け、評価や人材育成の仕組みと一貫させながら、粘り強く取り組む必要があります。短期的な業績向上を追求するあまり、部門間の過度な競争を煽るような施策は、長期的にはサプライチェーンの脆弱性を高める危険性があることを理解しておくべきでしょう。


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