一見、製造業とは異なる世界に見える舞台芸術の分野ですが、そこには私たちの生産管理やプロジェクトマネジメントに通じる高度なノウハウが存在します。この分野の専門家の受賞を機に、日本の製造業が直面する課題解決のヒントを探ります。
はじめに:異業種の優れた実践に学ぶ
先日、米国のライブエンターテイメント業界において、長年の功績を称える「Backstage Legends & Masters Award」の受賞者が発表されました。その一人であるBonnie L. Becker氏は、舞台芸術の世界における「プロダクションマネジメント」の専門家です。製造業に身を置く私たちにとって、畑違いのニュースに聞こえるかもしれません。しかし、彼女の仕事の本質は、複雑な制約の中で多様な専門家を束ね、一つの製品(=公演)を成功に導くことであり、そこには日本の製造業が学ぶべき多くの示唆が含まれています。
舞台芸術における「プロダクションマネジメント」とは
Bonnie L. Becker氏は、ブロードウェイなどの第一線で活躍する一方、ニューヨーク州立大学で後進の育成にもあたってきた人物です。彼女が専門とするプロダクションマネジメントは、日本語に直訳すれば「制作管理」となりますが、その役割は製造業における生産管理やプロジェクトマネジメントと非常に近いものがあります。
舞台公演というプロジェクトにおいて、プロダクションマネージャーは、演出家やデザイナーが描く芸術的なビジョンを、限られた予算、時間、人員、技術という現実的な制約の中で具現化する責任を負います。照明、音響、舞台装置、衣装など、多岐にわたる専門技術者たちの作業進捗を管理し、部門間の調整を行い、全体のスケジュールとコストを統括する。これは、製品の設計思想を、決められたQCD(品質・コスト・納期)の中で、設計、調達、製造、品質保証といった各部門と連携しながら形にする、工場長や生産管理責任者の役割そのものと言えるでしょう。
製造業のプロジェクトマネジメントとの共通点
舞台芸術のプロダクションマネジメントと、現代の製造業が直面する課題には、いくつかの重要な共通点が見られます。
第一に、「不確実性の高い環境下での目標達成」です。公演はライブであり、一度きりの本番に向けて、技術的なトラブルや予期せぬ変更など、様々な不確定要素を乗り越えなければなりません。これは、顧客の要求が多様化・高度化し、市場の変化が激しい中で、多品種少量生産や受注生産に対応する現代の製造現場の状況と重なります。全体を俯瞰し、リスクを予見しながら柔軟に計画を修正していく能力が問われます。
第二に、「多様な専門家の能力を最大限に引き出す調整力」です。舞台は、芸術家、技術者、運営スタッフなど、異なる価値観や専門性を持つ人々の協業によって成り立ちます。プロダクションマネージャーは、彼らの間の「共通言語」となり、円滑なコミュニケーションを促し、チームとしての一体感を醸成する要となります。部門間の壁や専門性の違いによる連携不足は、多くの製造現場が抱える課題であり、こうしたソフトスキルはますます重要になっています。
人材育成と技能伝承の重要性
Becker氏が教育者として、自らの知識や経験を次世代に伝えようとしている点も注目すべきです。複雑なプロジェクトを管理する能力は、一朝一夕に身につくものではありません。それは、数多くの修羅場を経験することで培われる暗黙知の塊とも言えます。こうした実践的なノウハウをいかに形式知化し、体系的に若手に伝承していくか。これは、ベテラン技術者の高齢化と人手不足に悩む日本の製造業にとって、喫緊の課題です。現場でのOJTに加え、Becker氏の取り組みのように、経験豊富なリーダーが教育の場で体系的な指導を行うことの価値を再認識させられます。
日本の製造業への示唆
今回の異業種のニュースから、私たちは以下の点を改めて考えることができるでしょう。
1. プロジェクトマネジメント能力の再定義と強化
製品開発から量産立ち上げ、あるいは特定の顧客向けの特注品生産まで、今日の製造業の仕事はプロジェクトの集合体です。個別の技術力だけでなく、それらを統合し、QCDを達成しながら全体を推進する「プロダクションマネージャー」的な役割を担う人材の育成が、企業の競争力を左右します。
2. 異業種のベストプラクティスに学ぶ姿勢
私たちは、ややもすれば自社の業界の常識に囚われがちです。しかし、舞台芸術や映画製作、建設業といった他のプロジェクト型産業には、私たちが応用できる優れた管理手法や考え方が数多く存在します。特に、創造性と厳格な管理を両立させるノウハウは、付加価値の高いものづくりを目指す上で大きなヒントとなります。
3. 実践知を継承する仕組みの構築
優れたリーダーや技術者の経験知は、組織にとって最も貴重な資産の一つです。彼らが持つノウハウを、単なる個人の技能として埋もれさせるのではなく、組織の知識として共有し、次世代に継承していくための意図的な仕組みづくりが不可欠です。ベテラン人材に、若手への指導や教育という重要な役割を担ってもらうことも、有効な手段の一つと考えられます。


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