かつて経済成長の強力なエンジンとされた製造業ですが、その役割は世界的に変化しています。ハーバード大学の著名な経済学者、ダニ・ロドリック教授が提起する「製造業懐疑論」を読み解き、日本の製造業が置かれた現状と今後の進むべき道について考察します。
かつて製造業が「成長のエスカレーター」だった理由
かつて、製造業は一国の経済を力強く押し上げる「エスカレーター」のような存在でした。ハーバード大学のダニ・ロドリック教授によれば、その理由は、製造業が比較的スキルの低い労働者を大量に雇用し、彼らを生産性の高い労働力へと転換させることができた点にあります。特別な専門知識がなくとも、整備された生産ラインで働くことで、労働者は一人当たりの付加価値を飛躍的に高めることができました。
技術やノウハウの導入も比較的容易でした。最新の機械設備を導入すれば、そこに優れた技術が体化されています。また、グローバルな発注元(バイヤー)から品質管理や生産方式を学ぶこともできました。このモデルは、戦後の日本や、その後の韓国、台湾、そして中国といった国々が目覚ましい経済成長を遂げる原動力となったのです。国内の制度が未成熟な段階であっても、工場という一つの「飛び地」が世界市場と直結し、富を生み出すことが可能でした。
現代の製造業が直面する大きな構造変化
しかし、ロドリック教授は、現代の製造業はもはやかつてのような役割を果たせなくなっていると指摘します。その背景には、二つの大きな構造変化があります。
第一に、製造業そのものが、よりスキル集約的、資本集約的、そして技術集約的な産業へと姿を変えたことです。自動化やスマートファクトリー化が進んだ現代の工場では、単純作業は機械に置き換わり、求められるのは高度な知識を持つ技術者や、複雑なシステムを管理できるオペレーターです。結果として、製造業が生み出す雇用は、経済全体に占める割合がかつてほど高くならず、早い段階でピークアウトし減少に転じる「早すぎる脱工業化」という現象が、多くの国で見られるようになりました。
第二に、グローバル・バリューチェーン(GVC)の深化です。世界中にサプライチェーンが張り巡らされたことで、各国は自国の得意な工程に特化し、国際分業に参加しやすくなりました。しかしその一方で、国内で完結する産業のつながり(リンケージ)は弱まりました。海外から部品を輸入し、組み立てて輸出するだけでは、国内に裾野の広い関連産業が育ちにくいのです。日本の現場でも、サプライチェーンの最適化が進む一方、国内の協力企業の廃業や、基幹技術の空洞化といった課題に直面している例は少なくありません。
新たな成長の担い手としてのサービス業
では、製造業に代わる成長のエンジンは何か。ロドリック教授は、生産性の高い一部のサービス業にその可能性を見出しています。IT、金融、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)といったサービスは、国境を越えて取引が可能であり、製造業と同様に規模の経済を追求することができます。
しかし、サービス業主導の成長には、製造業とは異なる難しさも伴います。高生産性サービス業の多くは、高度な専門スキルを持つ人材を必要とします。そのため、かつての製造業のように、幅広い層の労働者の受け皿となるのは難しいのが現実です。また、各国の規制や制度が、サービス業の国際展開や生産性向上の障壁となることも少なくありません。日本の製造業においても、「モノ売りからコト売りへ」というサービス化への転換が長年の課題ですが、その事業モデルの構築に多くの企業が苦心していることからも、その難しさがうかがえます。
日本の製造業への示唆
ロドリック教授の議論は、主に発展途上国の成長戦略を念頭に置いたものですが、成熟した経済大国である日本の製造業にとっても、示唆に富むものです。最後に、私たちの実務に引きつけて要点を整理します。
要点整理:
- 世界の潮流として、製造業の雇用吸収力は低下傾向にあり、自動化やデジタル化による高付加価値化(スキル集約・資本集約)は不可避な流れです。
- 単に高品質な製品を効率的に作るという従来の強みだけでは、企業や国全体の成長を牽引し続けることは困難になりつつあります。
- グローバルな分業が進む中で、自社がバリューチェーンのどの部分で、どのような付加価値を生み出すのかを戦略的に再定義することが求められます。
実務への示唆:
- 経営層・工場長へ: 省人化・自動化は前提としつつ、そこで働く人材のスキル転換(リスキリング)や高度人材の育成こそが、企業の競争力を左右します。効率化一辺倒ではなく、国内の技術承継や人材基盤の維持・強化という視点も、事業継続計画(BCP)の観点からますます重要になるでしょう。
- 技術者・現場リーダーへ: 自身の専門性を深めることはもちろん、データ分析やソフトウェア、あるいは顧客の課題解決といった隣接領域の知見を取り入れることが、自らの価値を高めます。自社の製品が、顧客にどのような「価値」や「サービス」を提供しているのか、という視点を持つことが、新たな改善やイノベーションの源泉となります。
製造業が日本の基幹産業であることに変わりはありません。しかし、その役割や在り方が世界的に変化しているという事実を冷静に受け止め、自社の事業を未来に向けてどう変革していくべきか。ロドリック教授の議論は、そのための重要な思考の材料を提供してくれていると言えるでしょう。


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