大手製薬企業に見る製造部門の新たな役割 ―「生産」から「工業化」への進化

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ドイツの製薬大手ベーリンガーインゲルハイム社のウェブサイトには、同社の製造・サプライチェーン部門の役割が簡潔に記されています。そこから読み取れるのは、製造部門を単なる生産拠点ではなく、新薬開発から市場投入までを支える戦略的機能と位置づける強い意志です。本稿では、この視点が日本の製造業にどのような示唆を与えるのかを考察します。

「工業化(Industrialize)」という言葉に込められた意味

ベーリンガーインゲルハイム社の製造部門に関する記述には、「革新的な治療薬を製造し、最先端技術を用いて上市し、工業化する(produces innovative remedies, using state-of-the-art technologies to launch and industrialize)」とあります。ここで特に注目すべきは、「工業化(industrialize)」という言葉です。これは、単に製品を「生産する(produce)」こと以上の意味合いを持っています。

研究開発段階で生まれた新薬の候補を、世界中の患者に安定供給できるだけの品質と量、そしてコストで製造できる体制を確立するプロセス全体を指していると解釈できます。日本の製造現場で言うところの「量産立ち上げ」や「工程設計」に相当しますが、医薬品業界特有の厳格な品質基準(GMPなど)や各国の規制要件をクリアしながら、スケールアップを実現することの難易度は極めて高いものです。製造部門が、開発の初期段階から深く関与し、製造性や品質安定性を織り込んだ製品開発を主導する役割を担っていることが窺えます。

最先端技術が支える戦略的価値

同社が「最先端技術(state-of-the-art technologies)」の活用を強調している点も重要です。医薬品製造においては、連続生産技術、シングルユース技術、プロセス分析技術(PAT)、そしてAIやデータサイエンスの活用などが急速に進展しています。これらの技術は、単なるコスト削減や効率化のためだけのものではありません。

むしろ、開発期間の短縮、品質のばらつきの抑制、サプライチェーンの柔軟性向上といった、事業競争力に直結する戦略的な目的のために導入されています。例えば、リアルタイムで製造工程を監視・制御する技術は、品質を工程内で保証し、最終製品の試験を最小限に抑えることを可能にします。これは、市場への製品投入を早め、機会損失を防ぐ上で大きな意味を持ちます。製造部門が技術を使いこなし、事業戦略に貢献することが強く求められているのです。

サプライチェーンの中核としての製造部門

「製造&サプライチェーン」と並列で語られていることからも、製造がサプライチェーン全体のハブとして機能していることが示唆されます。特に医薬品のように、世界中に安定供給が求められる製品において、製造拠点の役割は極めて重要です。原材料の調達から生産計画、在庫管理、品質保証、そして物流に至るまで、サプライチェーンの各機能と密に連携し、全体の最適化を図る必要があります。

近年の地政学リスクの高まりやパンデミックの経験は、サプライチェーンの強靭化(レジリエンス)があらゆる製造業にとって死活問題であることを明らかにしました。製造部門が自工程のことだけを考えるのではなく、サプライチェーン全体を俯瞰し、リスクを予見し、変化に柔軟に対応できる体制を構築する。こうした視点は、業界を問わず、日本の製造業にとっても不可欠なものとなっています。

日本の製造業への示唆

今回の事例から、日本の製造業が学ぶべき要点と実務への示唆を以下に整理します。

1. 製造部門の価値の再定義
製造部門を、決められた図面通りに作るだけのコストセンターと捉えるのではなく、新製品の事業化を成功に導き、企業の競争力を支える「価値創出センター」として再定義することが重要です。開発部門と対等な立場で、製造性や品質の観点から積極的に提言し、製品の作り込みに深く関与していく姿勢が求められます。

2. 「工業化」能力の強化
優れた試作品を開発する能力だけでなく、それを安定した品質で、効率的に量産できる「工業化」の能力こそが、真の競争力となります。生産技術、工程設計、品質保証といった機能の専門性を高め、開発の初期段階からプロジェクトに参画する体制を構築することが不可欠です。特に、規制や規格が厳しい製品分野においては、この能力が事業の成否を分けます。

3. 技術投資の戦略的視点
デジタル化や自動化といった技術投資を、短期的な人件費削減や効率化の文脈だけで評価するのではなく、品質向上、開発リードタイム短縮、サプライチェーン強靭化といった、中長期的な事業価値向上にどう貢献するのかという戦略的な視点で判断することが肝要です。現場の課題解決だけでなく、事業全体の競争力強化に繋がる技術活用を目指すべきでしょう。

4. サプライチェーン全体を俯瞰する人材育成
製造現場のリーダーや技術者には、自工程の専門性に加え、調達、物流、品質保証、さらには顧客ニーズまでを理解し、サプライチェーン全体を俯瞰できる視野が求められます。部門間の壁を越えた連携を促進し、全体最適の視点から意思決定できる人材の育成が、今後の工場運営における重要な課題となります。

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