優れた技術を投入して開発した製品が、必ずしも事業の成功に結びつくとは限りません。カナダで開発された当時最高性能のコンバインが生産直前で中止に至った事例は、技術開発と市場投入のタイミング、そして経営判断の重要性を我々に問いかけます。
生産準備完了からの突然の中止決定
カナダ・オンタリオ州の、ある農業機械メーカーの開発チームは、当時最高クラスの処理能力を持つロータリーコンバインの開発に心血を注いでいました。この「モデル9800」と呼ばれる試作機は、60インチの大型シリンダーを搭載し、技術的には非常に先進的なものでした。開発プロジェクトは順調に進み、ほぼ生産準備が整う段階まで到達していました。
しかし、経営陣は突如、このプロジェクトの中止を決定します。現場の技術者たちにとっては、長年の努力が実を結ぶ寸前での不可解な判断だったかもしれません。この記事のタイトルにある「Right stuff, wrong time(正しい製品、間違ったタイミング)」という言葉は、この事例の本質を的確に表しています。製品の性能や品質(Right stuff)は優れていたものの、市場投入の時期や事業環境(wrong time)が適合しなかったのです。
技術開発と事業戦略の同期という課題
この事例は、製造業における普遍的な課題を浮き彫りにします。それは、技術開発部門が追求する「最高の製品」と、経営が判断する「事業として成功する製品」との間に生じるギャップです。現場の技術者は、より高性能で、より優れた製品を開発することに情熱を傾けます。その探求心こそが、技術革新の原動力であることは間違いありません。
一方で、経営層は市場全体の動向、経済状況、競合の戦略、そして自社のリソース配分といった、より広い視野で事業を評価しなければなりません。今回の事例では、市場の需要がより小型・低価格の機械へとシフトしていた、あるいは、世界的な穀物価格の変動により農家の設備投資意欲が減退していた、といった外部環境の変化が背景にあった可能性が考えられます。また、会社全体の戦略として、他の事業分野へ投資を集中させるという判断が下されたのかもしれません。
これは、我々日本の製造現場においても決して他人事ではありません。例えば、特定の顧客向けに高性能な部品を開発していても、その顧客の製品コンセプトが変更されれば、開発した部品は採用されません。また、技術的な完成度を追求するあまり、コストが市場の要求と乖離してしまうケースも散見されます。
プロジェクトの「引き際」を見極める経営判断
生産準備がほぼ完了した段階でのプロジェクト中止は、それまでに投じた多大な時間、費用、そして人材といったリソースを失うことを意味します。いわゆる「サンクコスト(埋没費用)」の観点から、中止の判断は極めて困難です。しかし、将来的にさらに大きな損失を生む可能性があるのであれば、どこかの段階で損切りをするという厳しい経営判断が求められます。
この事例は、技術開発が単独で進むのではなく、常にマーケティング部門や営業部門、そして経営層と密に連携し、市場の変化を共有しながら進めることの重要性を示唆しています。開発の初期段階から市場投入、そしてその後の事業性までを一貫して見通す、全社的な戦略連携が不可欠なのです。
日本の製造業への示唆
このカナダのコンバイン開発事例から、日本の製造業が学ぶべき点は多岐にわたります。以下に要点を整理します。
1. 技術開発と市場投入タイミングの同期
技術的な優位性や完成度だけを追求するのではなく、市場がその技術を求めているか、競合製品の動向はどうか、といった市場投入のタイミングを常に見極める必要があります。市場の窓(マーケットウィンドウ)が開いている期間は、想像以上に短いものです。
2. 全社的な戦略連携の強化
開発、生産、営業、経営といった各部門がサイロ化(孤立化)することなく、常に情報を共有し、同じ目標に向かう体制が重要です。特に、開発の初期段階から市場の情報をフィードバックし、プロジェクトの方向性を柔軟に修正できる仕組みが求められます。
3. 「撤退」を視野に入れたプロジェクト管理
一度始めたプロジェクトを止めることには大きな抵抗が伴います。しかし、市場環境や事業の前提条件が変化した場合には、サンクコストを恐れずに中止・撤退を判断する客観的な基準と勇気が必要です。損失を最小限に抑え、経営資源をより有望な分野へ再配分することが、企業の持続的な成長に繋がります。
4. 技術者の経営的視点の涵養
現場の技術者もまた、自らの技術が事業全体の中でどのような位置づけにあるのかを理解することが望まれます。「良いものを作る」という職人的な視点に加え、「売れるもの、儲かるものを作る」という経営的な視点を併せ持つことで、より市場価値の高い製品開発が可能になります。


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