「ゼロサム思考」の罠:グローバル経済における製造業の役割を再考する

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国際間の経済活動を、限られたパイの奪い合いと捉える「ゼロサム思考」は、現実の複雑な経済構造を見誤らせる危険性を孕んでいます。本稿では、エコノミストのノア・スミス氏の論考を基に、現代の製造業が直面するグローバルな相互依存関係を読み解き、日本企業がとるべき姿勢について考察します。

経済を「パイの奪い合い」と見る危うさ

近年、国際社会では自国の利益を最優先し、他国の損失を意に介さないかのような保護主義的な風潮が強まっています。その根底にあるのが「ゼロサム思考」です。これは、経済全体のパイの大きさは固定されており、一方の得は必ずもう一方の損になる、という考え方です。例えば、貿易において「A国から輸入を減らせば、その分だけ自国の産業が潤う」といった単純な発想は、この典型と言えるでしょう。

しかし、エコノミストのノア・スミス氏が指摘するように、この考え方は現実の経済、特に今日の製造業の実態とは大きく乖離しています。世界経済は、各国が奪い合う単一の「製造業の塊」などではないからです。

世界経済は「製造業の塊」ではない

日本の製造業に身を置く我々にとって、この指摘は実務感覚としてよく理解できるのではないでしょうか。例えば一台の自動車やスマートフォンを考えてみても、その中には世界中の国々で生産された無数の部品や素材が使われています。設計開発はA国、基幹部品はB国とC国、ソフトウェアはD国、そして最終組立はE国、といったように、国境を越えた精緻なバリューチェーンが構築されています。

このようなグローバルに張り巡らされたサプライチェーンの存在は、経済がゼロサムではないことを明確に示しています。特定の国に高い関税を課すといった保護主義的な政策は、相手国に打撃を与えるだけでなく、自国のメーカーの部品調達コストを上昇させ、サプライチェーンを混乱させ、最終的には自国の消費者がその負担を被るという、意図せぬ副作用を生み出します。これは、経済が相互依存の関係にあるからに他なりません。

地政学リスクとサプライチェーンの現実

米中対立に代表される地政学的な緊張の高まりは、企業にサプライチェーンの見直しを迫っています。特定の国への過度な依存を避け、供給網を多元化する「チャイナ・プラスワン」などの動きは、リスク管理の観点から当然の経営判断です。

しかし、この動きもまた、単純なゼロサム思考で「特定の国を排除すればよい」と考えるべきではありません。重要なのは、どこか一つを切り捨てることではなく、より強靭で回復力のある(レジリエントな)グローバル供給網をいかに再構築するか、という視点です。新たなパートナー国との関係構築、現地での人材育成、技術移転など、これまで以上に複雑で長期的な取り組みが求められます。そこでは、一方的な奪い合いではなく、互いの強みを活かした協力関係、すなわち「プラスサム」の関係を築くことが成功の鍵となります。

日本の製造業への示唆

今回の論考から、日本の製造業関係者は以下の点を再確認すべきでしょう。

1. グローバルな相互依存関係の再認識
自社の事業が、いかに国境を越えたサプライチェーンやバリューチェーンの上に成り立っているかを客観的に把握することが重要です。短期的な政治の動向や単純な二項対立の言説に惑わされず、この相互依存の現実を直視する必要があります。

2. ゼロサムからプラスサムへの発想転換
他社や他国を打ち負かすことだけを考えるのではなく、協業によって新たな技術を生み出したり、市場全体を拡大したりする「プラスサム」の視点が、今後の成長には不可欠です。オープンイノベーションや国際的な標準化活動への参画なども、その一環と言えるでしょう。

3. サプライチェーン強靭化の戦略的推進
地政学リスクへの備えは必須ですが、それは内向きになることと同義ではありません。供給網の多元化や代替生産拠点の確保は、閉鎖的な姿勢ではなく、より賢明で洗練されたグローバル戦略の一環として位置づけるべきです。

4. 長期的な視点に立った経営判断
保護主義的な潮流は、時に短期的な利益をもたらすように見えるかもしれません。しかし、ものづくりの本質は、長期的な信頼関係と安定した供給体制の上に成り立っています。目先の動きに一喜一憂せず、グローバル経済の構造的な変化を見据えた、腰の据わった経営判断が求められます。

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