米国南東部で、電気自動車(EV)とバッテリー生産の一大集積地「バッテリーベルト」が急速に形成されています。本記事では、政策的な後押しを背景としたこの動きの実態と、電力インフラや人材確保といった現地での実務的な課題について、日本の製造業の視点から解説します。
「バッテリーベルト」の形成と背景
かつて米国の製造業の中心地が「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれたのに対し、現在、米国南東部のサウスカロライナ州、ジョージア州、テネシー州などを中心とした地域が「バッテリーベルト」として注目を集めています。これは、電気自動車(EV)の組立工場やバッテリー生産拠点が次々と新設され、新たな産業クラスターが生まれつつある状況を指す言葉です。この動きは、単なる工場誘致に留まりません。米国のインフレ抑制法(IRA)に代表される強力な政策支援を背景に、クリーンエネルギーへの移行と、重要部品のサプライチェーンを国内に回帰させるという国家戦略が一体となったものです。
産業集積を支える光と影:現地が直面する課題
Center for Climate and Energy Solutions (C2ES)が現地で150名以上のエネルギー関連のリーダーを集めて行った議論からも、急激な産業集積がもたらす課題が浮き彫りになっています。我々製造業の実務者にとって、特に注目すべきは以下の三点です。
第一に、電力インフラの逼迫です。巨大なバッテリー工場やEV工場は、膨大な電力を消費します。相次ぐ工場新設により、地域の電力需要は予測を上回るペースで急増しており、既存の送電網や発電能力では対応が追いつかないケースが出てきています。新規の工場建設にあたっては、電力供給の安定性やコストが、従来以上に重要な検討事項となります。進出を計画する企業は、電力会社との緻密な事前協議が不可欠となるでしょう。
第二に、労働力の確保と育成です。バッテリー製造やEV関連の生産技術は、従来の自動車産業とは異なるスキルセットを要求します。そのため、必要な技能を持つ人材の獲得競争が激化しています。多くの企業は、地域のコミュニティカレッジや専門学校と連携し、独自の育成プログラムを立ち上げるなどの対応を迫られています。これは、単に人を集めるだけでなく、地域に根差した人材育成の仕組みをいかに構築するかが、工場の安定稼働の鍵を握ることを示唆しています。
第三に、地域社会との連携です。大規模工場の建設は、水資源の利用や環境への影響など、地域社会との調整が不可欠です。サステナビリティへの要求が高まる中、地域住民の理解を得ながら事業を進める姿勢が、企業の長期的な成功にとって重要となります。これは、日本国内の工場運営においても共通する、普遍的なテーマと言えるでしょう。
サプライチェーン全体への影響
バッテリーベルトの形成は、完成車やバッテリーの生産に留まらず、その上流である素材や部品、さらには下流のリサイクルに至るまで、サプライチェーン全体の再構築を促しています。正極材や負極材といった部材メーカーも、相次いで米国での現地生産に踏み切っています。これは、顧客であるバッテリーメーカーの近くで生産することで物流を効率化し、またIRAの恩恵を最大限に受けるための戦略的な動きです。日本の部品・素材メーカーにとっても、この大きな潮流を無視することはできず、対応を迫られる状況が続いています。
日本の製造業への示唆
今回の米国の動きは、日本の製造業にとって重要な示唆を与えてくれます。以下に要点を整理します。
1. 政策主導の産業構造転換への備え
米国バッテリーベルトの形成は、政府の強力な産業政策が、いかに巨大な投資を呼び込み、サプライチェーンの地図を塗り替えるかを示す好例です。地政学的な要因や経済安全保障の観点から、こうした動きは今後、他の国や地域、他の産業分野でも起こり得ます。自社の事業が、各国の政策動向からどのような影響を受けるかを常に把握し、迅速に対応できる体制を整えておくことが不可欠です。
2. 海外進出時のリスク評価の多角化
海外に生産拠点を設ける際、従来は人件費や物流、税制などが主な検討項目でした。しかし今後は、電力や水といったインフラの供給能力と安定性が、事業の成否を分ける極めて重要なファクターとなります。特にエネルギー多消費型の工場を計画する場合は、供給インフラの現状と将来計画について、より詳細なデューデリジェンス(事前調査)が求められます。
3. 「現地化」の本質は人材育成にあり
サプライチェーンの現地化は、単に工場を建設するだけでは完結しません。現地の教育機関と連携し、事業に必要なスキルを持つ人材を継続的に育成する仕組みを構築することが、持続的な競争力の源泉となります。これは、日本国内で長年培ってきた「人づくり」のノウハウを、海外拠点でいかに展開できるかが問われているとも言えるでしょう。
4. サプライチェーンの再点検
米国市場に限らず、自社のサプライチェーンが特定の国や地域に過度に依存していないか、改めて点検する必要があります。重要な部品や素材については、調達先の複線化や代替生産拠点の確保など、不測の事態に備えたリスク分散策を具体的に検討すべき時期に来ています。

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