2026年に開催されるサッカーW杯は、史上初となる3カ国共同開催という壮大な試みです。この巨大プロジェクトが直面する課題は、グローバルに事業を展開する日本の製造業にとっても、決して他人事ではありません。本稿では、この国際イベントの運営から、サプライチェーン管理や生産管理における重要な示唆を読み解きます。
はじめに:史上最大規模の国際イベントが直面する課題
2026年のFIFAワールドカップは、アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国16都市を舞台に、出場チームも48カ国に拡大されるなど、あらゆる面で前例のない規模となります。BBCのポッドキャスト番組「The Inquiry」が「Is the 2026 World Cup an own goal?(2026年W杯はオウンゴールか?)」と題して問いかけているように、この壮大なプロジェクトには多くの懸念や課題が指摘されています。
これは単なるスポーツイベントの運営問題ではありません。我々製造業の視点から見れば、これは「超広域・多拠点での期間限定プロジェクト」であり、その計画、実行、管理のすべてが、生産管理やサプライチェーンマネジメントの要諦と深く関わっています。本稿では、このW杯の事例を題材に、我々が学ぶべき教訓を考察します。
教訓1:広域・複数拠点におけるサプライチェーンの複雑性
今大会の最大の特色は、3つの広大な国にまたがって開催される点です。選手、関係者、観客、そして膨大な量の資機材が、複数の国境を越えて長距離を移動します。これは、ロジスティクスの観点から見て極めて難易度の高い挑戦です。
例えば、国ごとに異なる通関手続き、法規制、輸送インフラの状況を考慮し、リードタイムを正確に予測しなければなりません。一つの都市での遅延が、ドミノ倒しのように他の都市の準備に影響を及ぼすリスクも常に付きまといます。これは、世界中にサプライヤーや生産拠点を持ち、部品を調達して最終製品を組み立てる我々製造業のサプライチェーンと全く同じ構造です。
地政学リスク、港湾の混雑、あるいは国内の「物流の2024年問題」など、不確実性が増す現代において、サプライチェーン全体の可視化と、リスク発生時の代替輸送路や代替サプライヤーの確保といったBCP(事業継続計画)の重要性が改めて浮き彫りになります。
教訓2:プロジェクトマネジメントにおける「見えざるコスト」
スタジアムの改修や関連インフラの整備も、このプロジェクトの重要な要素です。複数の都市、州、国が関わることで、ステークホルダー間の調整は複雑を極めます。言語や文化、商習慣の違いは、コミュニケーションコストを増大させ、意思決定の遅れを招く可能性があります。これらは、予算やスケジュールといった定量的な計画には現れにくい「見えざるコスト」です。
これは、日本の製造業が海外に新工場を建設したり、複数の国内工場で共同開発プロジェクトを進めたりする際に直面する課題と共通します。計画段階で、各拠点や関係部署との綿密なすり合わせ、役割分担の明確化、そして円滑な情報共有の仕組みを構築することが、プロジェクトの成否を分ける鍵となります。特に、現場レベルでの小さな認識のズレが、後工程で大きな手戻りや品質問題につながることは、多くの技術者が経験するところでしょう。
教訓3:品質と安全性の標準化という難題
大会運営においては、どの会場でも一定水準以上の品質と安全性を確保することが求められます。しかし、建設基準や労働安全に関する規制、警備のプロトコルは国や地域によって異なります。これらの基準をどう標準化し、すべての現場で徹底するかは、極めて重要な課題です。
これは、グローバルに生産拠点を展開する製造業にとっての品質管理そのものです。日本のマザー工場で確立された高い品質基準を、いかに海外の工場に展開し、維持していくか。単にマニュアルを翻訳して配布するだけでは不十分で、なぜその基準が必要なのかという「思想」や「文化」まで含めて伝え、現地スタッフの理解と納得を得る地道な努力が不可欠です。定期的な監査や、拠点間の人材交流などを通じて、品質に対する共通認識を醸成していく必要があります。
日本の製造業への示唆
2026年ワールドカップという巨大プロジェクトは、我々日本の製造業に対して、以下の3つの重要な示唆を与えてくれます。
1. サプライチェーンの再評価と強靭化:
グローバルに広がる供給網は、効率的である一方でもろさを抱えています。自社のサプライチェーンのリスクを改めて洗い出し、特定の国や地域への過度な依存を見直す時期に来ています。調達先の複数化(マルチソーシング)や、重要部品の在庫配置の最適化など、より強靭な供給網の構築が急務です。
2. 複雑なプロジェクトの管理手法の高度化:
複数の拠点や部門が関わるプロジェクトでは、従来の管理手法だけでは限界があります。ITツールを活用したリアルタイムでの進捗共有や、リスク要因の早期発見を可能にする仕組みの導入が求められます。特に、関係者間の円滑なコミュニケーションを担保する基盤づくりが重要です。
3. グローバルでの品質・業務プロセスの標準化:
事業のグローバル化を進める上で、品質とオペレーションの一貫性は企業の信頼を支える根幹です。形式的な標準化にとどまらず、現場の従業員一人ひとりがその意義を理解し、実践できるような人材育成と組織文化の醸成に、より一層力を入れるべきでしょう。
一見、遠い世界の話に聞こえる国際的なスポーツイベントも、その裏側にある運営の原則は、製造業の工場運営や経営と多くの点で共通しています。他分野の先進的な取り組みや直面する課題から謙虚に学ぶ姿勢こそが、不確実な時代を乗り越える力になると言えるでしょう。


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