政府は防衛力強化のため巨額の予算を投じていますが、その多くが計画通りに執行されていない実態が明らかになりました。この問題の根底には、防衛産業ひいては日本の製造業全体が抱える、生産能力やサプライチェーンの構造的な課題が横たわっています。
予算はあっても「作れない」現実
昨今の国際情勢を受け、政府は防衛費を大幅に増額し、2023年度から5年間で総額43兆円という大規模な計画を打ち出しています。しかし、Nikkei Asiaの報道によれば、この巨額の予算が計画通りに執行されず、年間で約1兆円(65億ドル)もの金額が未執行となり、翌年度以降に繰り越されている実態があるようです。これは単なる予算執行の遅れという事務的な問題ではありません。むしろ、予算という「需要」に対して、装備品を製造・納入する国内産業の「供給能力」が追いついていない、という構造的な問題を浮き彫りにしています。
これは、多くの製造業の経営者や工場長が日々の業務で直面する「計画と実行の乖離」という課題と本質的に同じものと言えるでしょう。受注計画や生産計画はあっても、それを実行するための現場のキャパシティがボトルネックとなり、計画未達に終わる。今回の防衛予算の問題は、その構図が国家レベルで発生していることを示唆しています。
生産現場が直面する複合的な要因
では、なぜ「作れない」のでしょうか。報道によれば、その背景には複数の要因が複雑に絡み合っています。これらは防衛産業に特有のものではなく、日本の製造業が共通して抱える課題でもあります。
第一に、生産能力そのものの限界です。長年の予算抑制などから、防衛産業は急激な増産要求に対応できるほどの設備や人員を維持してきませんでした。これは、需要の谷間に苦しんできた多くの国内メーカーにとっても他人事ではありません。需要が急増した際に、いかに迅速かつ柔軟に生産能力を立ち上げるか、そのための設備投資や人員計画の難しさは、多くの現場が経験するところです。
第二に、サプライチェーンの脆弱性です。半導体不足や原材料価格の高騰、さらには国際情勢の変動による特定部品の輸入遅延など、外部環境の変化が直接的に生産計画を揺るがしています。特に防衛装備品は海外からの輸入品や技術に依存する部分も多く、サプライチェーンが途絶するリスクは常に付きまといます。自社の供給網が、特定の国や一社のサプライヤーに過度に依存していないか、改めて点検する必要があるでしょう。
そして第三に、深刻な人材不足、とりわけ熟練技能者の不足です。特殊な溶接や精密加工など、防衛装備品の製造には一朝一夕では習得できない高度な技能が求められます。こうした技能を持つ人材の高齢化と後継者不足は、日本の製造業全体の根深い問題です。デジタル化や自動化を進める一方で、こうした「匠の技」をいかに伝承し、次世代の担い手を育てていくかは、企業の持続可能性を左右する重要な経営課題です。
防衛産業だけの問題ではない
この一連の問題は、決して防衛という特殊な業界だけの話ではありません。例えば、世界的に需要が拡大する半導体製造装置、データセンター関連機器、あるいはEV(電気自動車)向けの部品や素材など、大きな成長が見込まれる分野においても、同様の「生産能力の壁」に直面する可能性は十分に考えられます。
市場から大きな需要が示されたとしても、それを確実に受注し、利益に繋げるためには、強固な生産基盤と柔軟な供給網、そしてそれを支える人材が不可欠です。今回の防衛予算の未執行問題は、日本の製造業全体に対して、自社の足元を見つめ直し、将来の需要拡大期に備えることの重要性を問いかけていると言えるでしょう。
日本の製造業への示唆
今回の事案から、日本の製造業が学ぶべき実務的な示唆を以下に整理します。
1. 生産能力の現実的な評価と増強計画
自社の生産能力(設備、人員、リードタイム)を客観的かつ厳密に評価し、需要の急増にどこまで対応できるのかを平時から把握しておくことが重要です。その上で、将来の市場動向を見据え、ボトルネックとなりうる工程の改善や、計画的な設備投資、多能工化などを進める必要があります。
2. サプライチェーンの強靭化(レジリエンス)
特定の国や企業に依存したサプライチェーンの脆弱性が改めて露呈しました。調達先の複線化(マルチソース化)や地理的な分散、代替可能な部品・材料の事前評価、重要部品の内製化検討など、供給網のリスクを多角的に分析し、途絶させないための対策を講じることが急務です。
3. 技能人材の戦略的育成と確保
熟練工の退職は、単なる労働力の減少ではなく、企業にとって競争力の源泉である「暗黙知」の喪失を意味します。OJTだけに頼るのではなく、作業の標準化やデジタルツール(動画マニュアル、ARなど)を活用した技能伝承、若手人材が定着し成長できるようなキャリアパスの提示など、長期的視点に立った戦略的な人材育成が不可欠です。
4. 需要予測と実行能力の連携
大きな需要が見えていても、現場の実行能力が伴わなければ「絵に描いた餅」に終わります。営業部門が掴む市場情報や受注予測と、製造部門の生産能力に関する情報を密に連携させ、無理のない、しかし挑戦的な生産計画を立案・実行する体制を構築することが、持続的な成長の鍵となります。


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