先日公開された、米IBMエンディコット工場で33年間キャリアを積んだ技術者の訃報。その短い記述の中に、現代の製造業が改めて見つめ直すべき「現場力」の本質が隠されています。本稿では、この記事を手がかりに、生産現場における真の問題解決能力について考察します。
IBMの生産管理と「現場」
元記事で紹介されているダグラス・グラント・ウィリアムズ氏は、米IBMのエンディコット工場で33年間にわたり勤務し、そのキャリアの一部を生産管理(Production Management)で過ごしたとあります。エンディコット工場は、かつてIBMのメインフレーム開発・製造の心臓部であり、米国の製造業を象徴する拠点の一つでした。このような大規模かつ先進的な工場で長年生産管理に携わった経験は、非常に重い意味を持ちます。
生産管理と聞くと、計画立案や進捗管理といったデスクワークを想像しがちですが、その本質は現場にあります。計画通りに進まないことが常態である生産現場において、予期せぬ設備の不調、品質のばらつき、部品の欠品といった無数の問題に日々直面し、それらを解決して生産ラインを維持することが、生産管理の重要な役割です。33年という歳月は、数え切れないほどのトラブルシューティングの経験を物語っていると言えるでしょう。
「何でも修理できる」能力の深層
記事の中で特に印象的なのは、「彼は、ほぼ何でも修理する方法を見つけるのに長けていた(He excelled at finding a way to fix just about…)」という一文です。これは単に手先が器用だという意味に留まりません。生産現場における「修理できる」能力とは、製品の構造、生産プロセスの原理、そして設備の機械的・電気的な仕組みといった、複数の領域にまたがる深い知識と経験の結晶です。
なぜこの不具合が起きたのか。原因は材料か、設備か、それとも作業方法か。問題の真因を特定し、手元の道具や知識を駆使して応急処置を施し、恒久対策の道筋まで描く。こうした一連の思考と実践のサイクルを、迅速かつ的確に回せる能力こそが、現場の生産性を支える屋台骨となります。日本の多くの工場にも、こうした「あの人がいれば何とかなる」と頼りにされるベテラン技術者が存在し、その価値は計り知れません。
個人の卓越した能力と、組織としての課題
ウィリアムズ氏のような卓越した個人の存在は、現場にとって非常に心強いものです。しかし、経営や工場運営の視点から見れば、それは同時に「属人化」というリスクを内包しています。特定の個人にしか解決できない問題が増えれば、その人が不在の際に生産が停止する恐れや、退職による技術・ノウハウの喪失という深刻な事態を招きかねません。
重要なのは、個人の優れた能力を尊重しつつ、その知見をいかに組織全体の資産として共有し、継承していくかという仕組み作りです。トラブルの解決プロセスを記録する、若手とペアで修理にあたりOJTを通じて実践的に教える、定期的に勉強会を開いて過去の事例を共有するなど、暗黙知を形式知に変え、組織の血肉としていく地道な活動が不可欠となります。
日本の製造業への示唆
この短い記事から、私たちは日本の製造現場における重要な教訓を読み取ることができます。
- 熟練技術者の知見の再評価と形式知化
長年の経験によって培われた、いわゆる「勘・コツ・度胸」といった暗黙知は、AIや自動化技術が進化する現代においても、依然として価値ある資産です。こうしたベテランの知見を軽視せず、敬意を払うとともに、インタビューや日々の記録を通じて、その思考プロセスを可能な限り言語化・データ化し、組織のナレッジとして蓄積・活用する仕組みを強化すべきです。 - システム思考を持つ問題解決人材の育成
自分の担当工程や設備だけでなく、その前後工程や製品全体の仕組みを理解し、複合的な視点から問題の根本原因を特定できる人材の育成が急務です。多能工化の推進はもちろんのこと、日常の改善活動やトラブル対応の場を通じて、従業員一人ひとりが「なぜ」を繰り返す文化を醸成することが、現場全体のレベルアップにつながります。 - 現場力の組織的な継承
一人の「スーパーマン」に依存する体制は脆弱です。個人のスキルをチームで共有し、誰もが一定レベルの問題解決を行えるような標準化と教育体系を整備することが、持続可能な強い工場運営の基盤となります。技術の継承は、単なるマニュアルの引き継ぎではなく、問題解決に挑む姿勢や文化そのものを伝えていく組織的な活動と捉える必要があります。


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