工場のスマート化を推進する上で、AIとエッジコンピューティングの活用は不可欠な要素となりつつあります。しかし、その利便性の裏側で、工場の生産設備を直接的なサイバー攻撃の脅威に晒す新たなセキュリティリスクが深刻化していることを、我々は認識する必要があります。
スマートファクトリー化を支えるエッジコンピューティング
近年、多くの製造現場で、生産性向上や品質安定化を目指したスマートファクトリー化が進められています。その中核技術の一つが、AIを活用したエッジコンピューティングです。従来のように、現場のセンサーデータをすべてクラウドに送信して処理するのではなく、データが発生した「現場(エッジ)」に近い場所でAIがリアルタイムにデータ処理・判断を行うことで、通信の遅延をなくし、迅速なフィードバックを可能にします。
例えば、加工機の刃先の摩耗を予測する予知保全、高速で流れる製品の外観を瞬時に判定するAI画像検査、あるいは工場内を自律走行するAGV(無人搬送車)の制御など、その活用範囲は多岐にわたります。これにより、製造現場はより自律的で効率的なオペレーションを実現できるようになります。
利便性の裏側に潜む新たなセキュリティの脅威
しかし、このエッジデバイスの普及は、サイバーセキュリティの観点から見ると新たな「攻撃の侵入口(アタックサーフェス)」を工場内に数多く作り出すことを意味します。米国のサイバーセキュリティ・社会基盤安全保障庁(CISA)も、重要インフラである製造業セクターが、こうした新たな脅威により高いリスクに晒されていると警告を発しています。
日本の製造現場では、長らく「工場のネットワークは外部から隔離された閉域網だから安全だ」という認識が一般的でした。しかし、スマートファクトリー化によって、生産管理システム(MES)や外部のクラウドサービスとの連携が不可欠となり、ITネットワークと工場ネットワーク(OTネットワーク)の接続が急速に進んでいます。この変化により、従来は安全と考えられていた領域にまで、外部からの脅威が及ぶ可能性が現実のものとなっているのです。
エッジデバイスが狙われる具体的なリスクとは
ネットワークに接続されたエッジデバイスは、様々なサイバー攻撃の標的となり得ます。具体的には、以下のようなリスクが考えられます。
- 生産ラインの停止・誤作動:エッジデバイスが乗っ取られ、接続された生産設備に不正な指令が送られることで、生産ラインが停止したり、品質不良を意図的に発生させられたりする危険性があります。
- 機密情報の窃取:AIモデルが処理する生産データや品質データ、あるいはデバイス自体に保存された設定情報などが外部に流出する可能性があります。
- 工場全体への被害拡大:比較的セキュリティが手薄なエッジデバイスを足がかりにマルウェアを侵入させ、そこから工場全体のOTネットワーク、さらには社内のITネットワーク全体へと感染を拡大させる踏み台として悪用されるケースも想定されます。
特に、長年稼働しているレガシーな生産設備と、最新のエッジデバイスが混在する日本の工場環境では、システム全体の脆弱性が高まりやすく、細心の注意が求められます。
今、製造現場に求められるセキュリティ対策
こうした新たな脅威に対応するためには、従来の情報システム部門(IT)だけのセキュリティ対策では不十分です。生産技術部門(OT)とIT部門が緊密に連携し、工場全体のセキュリティを俯瞰的に設計する必要があります。
基本的なアプローチとしては、「何も信用しない」ことを前提とする「ゼロトラスト」の考え方をOT環境にも適用することが重要です。具体的には、デバイスの認証強化、通信の暗号化、アクセス権の最小化、そしてネットワークの常時監視といった対策を、エッジデバイス一つひとつに対して講じていくことが求められます。また、デバイスの導入から運用、廃棄に至るまでのライフサイクル全体を通じた管理体制を構築することも不可欠です。どの設備に、どのようなデバイスが、どのような設定で接続されているかを正確に把握し、一元管理することが、対策の第一歩となります。
日本の製造業への示唆
本件は、スマートファクトリー化を進める日本の製造業にとって、避けては通れない重要な課題です。以下に、実務上の要点と示唆を整理します。
- DX推進における「光と影」の認識:AIやエッジコンピューティングがもたらす生産性向上という「光」の側面だけでなく、セキュリティリスクという「影」の側面を経営層が正しく認識することが不可欠です。セキュリティ対策を単なるコストとしてではなく、事業継続性を担保するための重要な「投資」と位置づけ、DX戦略と一体で計画・実行する必要があります。
- OTセキュリティ人材の育成と体制構築:工場の制御システムや生産設備の知識を持つOT部門と、サイバーセキュリティの知見を持つIT部門の協業体制の構築が急務です。両者の橋渡し役となる「OTセキュリティ」に精通した人材の育成・確保は、今後の競争力を左右する重要な要素となるでしょう。
- サプライチェーン全体での視点:自社の工場だけでなく、部品や設備を納入するサプライヤーのセキュリティ対策も、自社のリスクに直結します。自社のセキュリティレベルを向上させると同時に、サプライチェーン全体でのセキュリティ意識と対策レベルの底上げを図っていく視点が求められます。
- まずは資産の可視化から:対策の第一歩は、自社の工場内にどのような機器が、どのようにネットワークに接続されているかを正確に把握することです。まずはネットワークに接続された機器の洗い出しとリスク評価から着手することが、現実的なアプローチと言えるでしょう。


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