海外への生産委託は、コスト競争力を高める上で有効な手段ですが、その裏に潜むリスクを軽視することはできません。韓国のバイオ医薬品業界で明らかになった中国委託先の品質問題は、価格だけでは測れないサプライヤー管理の重要性を、我々日本の製造業にも改めて突きつけています。
発端:韓国バイオ企業が直面した技術移管の遅延
韓国の経済紙報道によると、免疫抗がん剤を開発するあるバイオ企業が、製造を委託した中国のCDMO(医薬品開発製造受託機関)において、深刻な問題に直面したとのことです。具体的には、製造プロセスの技術移管と再検証に、当初の予定を大幅に超える1年以上の追加期間を要したと報じられています。この遅延の根本的な原因は、委託先の「生産管理」能力にあったとされています。
これは、医薬品という特殊な分野に限った話ではありません。我々日本の製造業においても、海外工場への生産移管は日常的な業務です。図面や仕様書、標準作業手順書(SOP)を渡すだけでは、生産は決して立ち上がりません。そこには、言葉にしにくい「暗黙知」や、品質基準に対する細かなニュアンス、工程の勘所といったものが必ず存在します。こうした無形の技術情報をいかに正確に伝え、相手に理解・実践してもらうか。このプロセスにおける認識の齟齬が、結果として大きな手戻りや計画の遅延に繋がることは、多くの技術者が経験するところでしょう。
背景にある価格競争と地政学リスク
なぜ今、このような問題が顕在化しているのでしょうか。背景には、米国の「バイオセキュア法」の影響があります。この法律は、米国の資金が中国の特定のバイオ企業に流れることを制限するもので、結果として欧米の大手製薬企業が中国のCDMOとの取引を敬遠し始めています。仕事を失った中国のCDMOは、その活路を韓国をはじめとするアジアの企業に求め、価格競争力を武器に積極的な営業攻勢をかけているのです。
しかし、その魅力的な低価格が、品質管理体制や経験豊富な人材への投資を削った結果である可能性を、我々は冷静に評価する必要があります。目先のコストメリットに惹かれ、デューデリジェンス(事前の適正評価)を怠れば、後々、品質問題や納期遅延といった形で、より大きな代償を払うことになりかねません。サプライヤー選定においては、価格という単一の指標だけでなく、その背景にある経営体力や品質文化まで見極める視点が不可欠です。また、この事例は、地政学リスクがサプライチェーンに直接的な影響を及ぼす現実も示唆しています。
委託生産における「品質リスク」の本質
今回の事例で指摘された「生産管理」の問題は、具体的にどのようなリスクを内包しているのでしょうか。これは、製造業全般に共通する課題として整理できます。
第一に、製造プロセスの理解度不足です。委託先が、なぜその工程や手順が必要なのか、その科学的・技術的根拠を十分に理解していない場合、予期せぬトラブル発生時に適切な対応ができません。第二に、品質基準に対する解釈の相違です。例えば「外観基準」のような官能的な検査項目は、認識のズレが生じやすい代表例です。サンプルや限度見本を用いて、徹底した目合わせを行う必要があります。第三に、変更管理プロセスの不備です。材料や設備、作業手順の些細な変更が、製品品質に重大な影響を及ぼすことがあります。許可なく安易な変更が行われないよう、厳格な管理体制を構築し、遵守させることが極めて重要です。
日本では「当たり前」とされる、工程の安定稼働や、異常発生時の迅速な「報・連・相」といった組織文化が、海外の委託先で必ずしも共有されているとは限りません。契約書や仕様書に書かれていない「行間」の部分、すなわち我々が長年培ってきた品質文化をいかに共有し、根付かせるかが、海外委託生産の成否を分ける鍵となります。
日本の製造業への示唆
この一件は、海外サプライヤー、特にコスト競争力で選定されがちな委託先との付き合い方について、我々にいくつかの重要な示唆を与えてくれます。
1. サプライヤー選定における多角的な評価の徹底
コストや納期といった項目だけでなく、品質保証体制、技術者のスキルレベル、類似製品の製造実績、そして経営層の品質に対する考え方まで、多角的に評価することが不可欠です。特に、生産移管を円滑に進めるためのコミュニケーション能力やプロジェクト管理能力は、重要な評価項目とすべきでしょう。場合によっては、第三者機関による監査なども活用し、客観的な評価を行うことが望まれます。
2. 生産移管を「共同プロジェクト」として管理する
技術資料を渡して終わり、という「丸投げ」は最も危険です。生産移管は、自社と委託先との「共同プロジェクト」と位置づけ、明確なマイルストーンと責任者を設定し、進捗を密に管理する必要があります。初期段階では、キーとなる技術者や品質保証担当者を現地に一定期間派遣し、実地指導を通じて技術と品質文化を直接伝える「伴走支援」が極めて有効です。
3. コミュニケーションの質と頻度の確保
物理的な距離や言語の壁は、認識の齟齬を生む大きな要因です。定期的なテレビ会議はもちろんのこと、重要な局面ではフェイス・トゥ・フェイスでの協議が欠かせません。なぜその品質基準が必要なのか、なぜその手順でなければならないのか、その背景にある思想や顧客の要求を丁寧に説明し、真の理解を促す努力を惜しんではなりません。
4. サプライチェーンの地政学リスクの再評価
特定の国や地域への過度な依存は、今回のような法規制の変更や国際情勢の変化によって、突如として大きなリスクに変わり得ます。コスト最適化と同時に、リスク分散の観点からサプライチェーンの多元化を常に検討し、代替となる委託先候補を日頃からリストアップしておくことも、事業継続計画(BCP)の一環として重要です。


コメント