製造業における「安全」は、機械の安全対策や化学物質の管理に留まりません。近年、多様な人材が活躍する中で、特に女性従業員が直面する特有のリスクへの配慮が、企業の持続的な成長に不可欠な要素となっています。本稿では、物理的な安全から心理的な安全まで、包括的な視点から現場の課題と求められる対策を解説します。
はじめに:KY活動の次に考えるべき「安全」
日本の製造現場では、長年にわたりKY(危険予知)活動や5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)などを通じて、労働災害の撲滅に努めてきました。これらは物理的な危険源を特定し、排除するための非常に有効な手法であり、今後も安全管理の根幹であり続けるべきものです。しかし、労働人口の構成が変化し、女性をはじめ多様な人材が現場で働くようになった今、私たちは「安全」の概念をさらに広げて考える必要があります。それは、不適切な作業環境やハラスメントといった、これまで見過ごされがちだったリスクへの対応、すなわち「心理的安全性」の確保です。
女性従業員が直面する特有の安全リスク
男性中心の職場を前提に構築されてきた環境では、女性従業員が特有の安全上の課題に直面することがあります。これらは大きく分けて、物理的なリスクと心理的なリスクの二つに分類できます。
一つ目の物理的なリスクとして、代表的なのがPPE(個人用保護具)の不適合問題です。安全靴や保護手袋、作業着などが男性向けのサイズしか用意されておらず、女性の身体に合わないケースは少なくありません。サイズの合わない手袋は機械への巻き込まれ事故のリスクを高め、フィットしない安全靴は転倒の原因となり得ます。これらは単なる「不便さ」ではなく、直接的に労働災害に結びつく重大な問題です。
二つ目の心理的なリスクは、ハラスメントや職場内での孤立です。性的な言動やジェンダーに基づく固定観念の押し付けは、従業員の尊厳を傷つけ、精神的な苦痛を与えるだけでなく、業務への集中力を著しく低下させます。その結果、本来であれば防げたはずのヒューマンエラーや事故を誘発する可能性も否定できません。また、「何か言っても無駄だ」「自分が我慢すればいい」といった諦めや、相談できる相手がいないという孤立感が、問題をさらに深刻化させる要因となります。
リーダーシップに求められる責任と具体的な行動
こうした課題の解決は、個人の意識の問題として片付けるべきではありません。経営層や工場長、現場のリーダーが、組織全体の問題として捉え、強い意志を持って取り組むことが不可欠です。
まず行うべきは、自社の職場環境の現状把握です。PPEのサイズ展開は適切か、更衣室やトイレといった基本的な設備は誰もが快適に使えるよう配慮されているか、といった物理的な環境の点検から始めるべきでしょう。匿名のアンケート調査などを通じて、従業員が感じている不便さや不安を吸い上げることも有効です。
さらに重要なのは、ハラスメントを絶対に許さないという明確な方針をトップが示し、それを組織文化として浸透させることです。単に就業規則に一文を加えるだけでなく、管理職向けの研修を定期的に実施し、ハラスメントが疑われる事案が発生した際の適切な対応手順を徹底する必要があります。相談窓口を設置する際は、その実効性を担保し、相談者が不利益を被ることのないよう、プライバシー保護を厳守する体制を構築しなくてはなりません。「我々の工場に限って、そんな問題はない」という思い込みこそが、最も危険な兆候であると認識すべきです。日頃から風通しの良いコミュニケーションを心がけ、従業員が些細なことでも安心して声を上げられる雰囲気を作ることが、リーダーの重要な役割と言えます。
日本の製造業への示唆
深刻な人手不足に直面する日本の製造業にとって、多様な人材が安心して、かつ長期的に活躍できる職場環境の整備は、もはや福利厚生の域を超えた経営戦略そのものです。今回のテーマから、私たちは以下の実務的な示唆を得ることができます。
- 「安全」の定義を見直す:従来の労働安全衛生活動に加え、ハラスメント防止や心理的安全性の確保を、安全管理の重要な柱として明確に位置づける。
- 物理的環境の再点検:女性従業員の視点に立ち、PPEや作業着のサイズ、トイレや更衣室などの設備が適切かを見直す。単に「ある」だけでなく、「快適に使えるか」という質を問うことが重要。
- 相談しやすい仕組みの構築:相談窓口の形骸化を防ぎ、相談者が安心して利用できる仕組みを整える。プライバシー保護の徹底と、迅速かつ公正な対応プロセスを確立する。
- 管理職への継続的な教育:ハラスメントに関する知識だけでなく、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)への気づきを促す研修などを通じ、管理職の意識改革を粘り強く推進する。
- 経営課題としての認識:誰もが働きやすいインクルーシブな職場環境は、従業員の定着率を高め、採用競争力を強化し、ひいては生産性や品質の向上に繋がるという認識を、経営層が共有する。
すべての従業員が心身ともに安全な環境で働けること。この当たり前の前提を改めて問い直し、具体的な行動に移すことが、これからの日本の製造業の持続的な発展を支える礎となるでしょう。


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