製造業の根幹をなす在庫管理は、効率的な工場運営と企業のキャッシュフローに直結する重要な経営課題です。本記事では、生産管理における在庫管理の基本原則を改めて見つめ直し、現代の事業環境に適応するための実践的な視点を提供します。
はじめに:なぜ今、在庫管理なのか
言うまでもありませんが、在庫管理は製造業における永遠のテーマです。在庫がなければ顧客の需要に応えられず機会損失を招きますが、過剰に抱えれば運転資金を圧迫し、保管コストや陳腐化のリスクを高めます。この絶妙なバランスをいかに取るかは、現場の知恵と経営の判断が問われる領域と言えるでしょう。近年のグローバルなサプライチェーンの混乱や需要の急激な変動は、従来の在庫管理手法の前提を揺るがしており、多くの企業がその在り方の見直しを迫られています。
在庫管理の目的とトレードオフ
在庫を持つ目的は、大きく二つに整理できます。一つは、需要の変動やリードタイムの不確実性に対応し、欠品を防ぐ「バッファ」としての役割です。これにより顧客満足度を維持し、販売機会の損失を回避します。もう一つは、生産ロットの調整や段取り替えの回数を減らすことで、生産活動を平準化し、工場の稼働効率を高める役割です。しかし、これらのメリットは、在庫維持コスト(保管費、保険料、税金、資本コストなど)というデメリットと常にトレードオフの関係にあります。優れた在庫管理とは、このトレードオフを自社の事業戦略に照らして最適化する活動に他なりません。
基本に立ち返る:代表的な在庫管理手法
多様な管理手法が存在しますが、その根底にある考え方は今も有効です。ここでは代表的な二つの手法を、日本の実務の視点から再確認します。
ABC分析(重点管理)
ご存知の通り、パレートの法則を応用し、在庫品目を重要度に応じてA・B・Cの3ランクに分類する手法です。一般的に、品目数では少数(約20%)のAランク品が、在庫金額の大部分(約80%)を占めます。この分析により、管理資源をどこに集中すべきかが明確になります。Aランク品は発注点や安全在庫を緻密に管理し、定期的な棚卸を行う一方、Cランク品は簡易的な定量発注方式を採用するなど、管理の濃淡をつけることが合理的です。自社の管理工数を考慮し、どこまで手間をかけるべきかを見極めることが実務上のポイントです。
EOQ(経済的発注量)モデル
発注にかかる費用(発注コスト)と、在庫を維持する費用(在庫維持コスト)の総和が最も小さくなる発注量を算出する、古典的なモデルです。理論上は最適なロットサイズを導き出せますが、現実の生産現場では、需要が一定である、リードタイムが常に同じであるといった前提が成り立ちにくいものです。そのため、EOQの計算結果を絶対的な答えとしてではなく、発注量を検討する上での一つの「目安」や「基準値」として活用するのが現実的なアプローチでしょう。このモデルの背景にある「発注コストと維持コストのトレードオフ」という考え方を理解しておくことが重要です。
ジャストインタイム(JIT)の思想と現代的課題
日本の製造業が世界に誇るトヨタ生産方式の中核をなすのが、ジャストインタイム(JIT)の思想です。「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」生産・供給することで、在庫という名の「ムダ」を徹底的に排除します。この思想は、単なる在庫削減手法ではなく、生産プロセス全体の問題点を可視化し、改善を促すための強力な仕組みです。しかし、近年のパンデミックや地政学的リスクによるサプライチェーンの寸断は、JITの脆弱性を露呈させました。部品一つが欠品しただけで生産ライン全体が停止する事態を経験し、多くの企業がBCP(事業継続計画)の観点から、一定の戦略的在庫を持つことの重要性を再認識しています。
日本の製造業への示唆
以上の内容を踏まえ、日本の製造業が今後、在庫管理とどう向き合っていくべきか、いくつかの示唆を整理します。
1. 在庫を「コスト」から「戦略的資産」へ
在庫を単なるコストや悪と捉えるだけでなく、サプライチェーンの安定化や顧客への即納体制の構築といった、競争優位性を生み出すための「戦略的資産」と位置づける視点が求められます。どの在庫を、何のために、どれだけ持つべきかを、事業戦略レベルで議論することが重要です。
2. 勘と経験からデータに基づく管理へ
長年の経験や勘に頼った在庫管理には限界があります。販売実績、生産リードタイム、サプライヤーの納期遵守率といったデータを収集・分析し、客観的な根拠に基づいて安全在庫や発注点を設定・見直しする体制への移行が不可欠です。IoTやAIといった技術の活用も、この流れを加速させるでしょう。
3. JIT思想の継承と発展
JITの根幹にある「ムダをなくす」という思想は、今後も日本製造業の強みであり続けます。ただし、その思想を堅持しつつも、サプライチェーンの強靭性(レジリエンス)を高める工夫が必要です。例えば、重要部品については供給元を複線化する、あるいは一定量の戦略的在庫を持つなど、リスクを織り込んだハイブリッドな在庫戦略を構築することが現実的な解となります。
4. 部門横断での全体最適
在庫は、営業(需要予測)、生産管理(生産計画)、購買(発注)、製造(実績)など、多くの部門が関わります。各部門が部分最適に陥ると、結果として過剰在庫や欠品を招きがちです。S&OP(Sales and Operations Planning)のような仕組みを導入し、全部門が情報を共有し、会社の利益という一つの目標に向かって在庫レベルを最適化していく協調体制の構築が、これまで以上に重要になっています。


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