マレーシアの鶏卵業界では、動物福祉の観点から、従来の「バタリーケージ飼育」から「ケージフリー飼育」への移行が進んでいます。この動きは、単なる一国の食品業界の変化に留まらず、グローバルなサプライチェーンからの要請が、製造業の生産方式そのものに変革を迫る事例として注目すべきものです。
マレーシアで進む養鶏業の構造転換
近年、マレーシアの鶏卵生産現場において、構造的な変化が起きています。長らく主流であった、効率性を重視したバタリーケージ(多段式の狭いケージ)による飼育から、アニマルウェルフェア(動物福祉)に配慮したケージフリー(平飼いなど)への移行が加速しているのです。この背景には、消費者の倫理的な消費に対する意識の高まりに加え、特に外食産業や小売業といったグローバル企業からの強い要請があります。彼らは自社のサプライチェーン全体に対して、サステナビリティや倫理基準への準拠を求めるようになっており、その要求が生産現場の設備や管理方法の変更を促す直接的な要因となっています。
「非財務情報」が生産の前提条件となる時代
この事例は、現代の製造業が直面する大きな潮流を象徴していると言えるでしょう。かつて生産現場で最重要視されたのは、言うまでもなくQCD(品質・コスト・納期)でした。しかし現在では、それに加えて環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)といった、いわゆるESGの観点が取引の前提条件となるケースが増えています。アニマルウェルフェアも、この「S(社会)」に含まれる重要な要素です。自動車業界におけるCO2排出量規制やサプライチェーン全体での人権デューデリジェンス、電子部品業界における紛争鉱物不使用の徹底など、業種は違えど、同様の課題は日本の製造業にとっても決して他人事ではありません。顧客や社会からの要請が、これまで許容されてきた生産方式の根本的な見直しを迫るのです。
生産方式の変革に伴う課題と機会
ケージフリーへの移行は、単に飼育設備を入れ替えるだけの問題ではありません。生産現場にとっては、多岐にわたる課題と、そして新たな機会をもたらします。
まず課題としては、大規模な設備投資が必要となり、一時的に生産コストが上昇する可能性があります。また、飼育密度が下がることで、単位面積あたりの生産性が低下することも懸念されます。衛生管理や疾病対策、鶏の行動管理など、求められる生産技術やノウハウも従来のものとは大きく異なり、現場では新たなオペレーションの確立が急務となります。
一方で、これは大きな機会でもあります。倫理的な基準を満たした製品は、高付加価値なブランドとして市場で差別化を図ることが可能です。グローバル基準に対応することで、これまで取引が難しかった先進的な顧客層への販路が拓ける可能性もあります。何より、サステナビリティを重視する企業姿勢は、投資家や地域社会からの信頼を高め、長期的な事業継続性の確保に繋がります。
日本の製造業への示唆
今回のマレーシアの事例から、日本の製造業が学ぶべき点は多岐にわたります。以下に要点を整理します。
1. サプライチェーン全体を俯瞰する視点
自社の直接の顧客だけでなく、その先にいる最終消費者や、サプライチェーンを評価する投資家・NGOなどの視点を常に意識する必要があります。特にグローバルに事業を展開する企業にとって、国際的な倫理基準や環境基準への対応は、もはや「任意」ではなく「必須」の項目となりつつあります。
2. 生産技術・工場運営への新たな価値軸の統合
これからの生産技術や工場運営は、QCDの追求に加えて、「いかに環境負荷を低減するか」「いかに倫理的な要求を満たすか」といった新たな価値軸を組み込んでいく必要があります。これは、現場の改善活動や設備投資計画、人材育成の在り方にも影響を及ぼす重要なテーマです。
3. コストから「未来への投資」への発想転換
新たな基準への対応は、短期的にはコスト増と捉えられがちです。しかし、これを将来の市場で生き残るための、そして企業価値を高めるための「投資」と捉える経営的な視点が不可欠です。対応が遅れれば、将来的に主要なサプライチェーンから排除されるリスクさえあります。
4. 現場レベルでの意識と技術の向上
経営層の意思決定だけでなく、現場のリーダーや技術者が、こうした社会的な要請の背景を理解し、日々の業務に落とし込んでいくことが重要です。新しい生産方式に対応するための技術習得や、これまでとは異なる観点での品質管理手法の開発など、現場の主体的な取り組みが変革の成否を分けます。


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