米国の「CHIPS・科学法」による国内半導体製造への巨額投資は、単なる経済政策に留まりません。その背景には、軍事装備品の安定供給を確実にするという、国家安全保障上の極めて重要な狙いが存在します。本稿では、半導体製造が国防に与える影響を解説し、日本の製造業がこの変化をどう捉えるべきか考察します。
経済政策の裏にある「国防」という視点
米国のCHIPS法は、国内の半導体製造業を再興させるための大規模な補助金政策として広く知られています。しかし、その根底にある動機を理解するには、経済的な側面だけでなく、国家安全保障、とりわけ国防の観点から読み解く必要があります。現代の兵器システムは、戦闘機からミサイル、通信機器に至るまで、その性能を高度な半導体に大きく依存しています。いわば「半導体の塊」であり、その安定供給は国の防衛能力そのものを左右すると言っても過言ではありません。
これまで、世界の半導体製造、特に最先端プロセスの多くは台湾をはじめとする東アジア地域に集中してきました。この地理的な偏在は、平時においては効率的なサプライチェーンを形成しますが、地政学的な緊張が高まった際には、供給が途絶する深刻な脆弱性となり得ます。米国防総省(DoD)は、有事の際に必要不可欠な半導体が確保できなくなる事態を強く懸念しており、国内に信頼できる供給源を確保することが喫緊の課題となっているのです。
サプライチェーンの強靭化がもたらす戦略的優位性
半導体の国内製造能力を確保することは、国防において複数の戦略的な利点をもたらします。第一に、サプライチェーンの強靭化です。海外からの供給に依存する場合、輸送ルートの遮断や輸出規制といったリスクに常に晒されます。国内に製造拠点を持つことで、こうした外部要因の影響を最小限に抑え、必要な時に必要な半導体を確実に入手できる体制を構築できます。
第二に、部品の信頼性と安全性の確保が挙げられます。海外で製造された半導体には、偽造品が混入したり、意図しないバックドア(不正なアクセス経路)が仕込まれたりするリスクがゼロではありません。特に軍事用途では、こうしたリスクは致命的です。設計から製造、実装までの工程を国内の信頼できるサプライヤーで完結させることで、サプライチェーン全体のトレーサビリティを高め、安全性を担保することができます。これは、防衛装備品だけでなく、重要インフラや医療機器など、高い信頼性が求められる民生品を製造する日本の現場においても、非常に示唆に富む視点と言えるでしょう。
エコシステム全体の再構築を目指す米国の戦略
米国の取り組みが注目されるのは、単に製造工場(ファブ)を誘致するだけでなく、半導体に関わる「エコシステム」全体を国内に再構築しようとしている点です。これには、半導体の設計、基板となるウェハーや特殊ガスの供給といった材料、製造装置、そして組み立てやテストを行う後工程まで、サプライチェーンのあらゆる段階が含まれます。さらに、こうした産業を支えるための研究開発や人材育成への投資も同時に進められています。
この動きは、半導体供給網が単なる「線」ではなく、相互に関連し合う複雑な「面」であることを示しています。特定の工程だけを国内回帰させても、他の部分でボトルネックが生じれば、サプライチェーン全体としての強靭性は確保できません。日本においても、Rapidusをはじめとする次世代半導体の国産化プロジェクトが進んでいますが、製造拠点だけでなく、周辺の材料・装置産業や人材育成を含めた総合的なエコシステムの強化が不可欠となります。
日本の製造業への示唆
今回の米国の動きは、グローバルなサプライチェーンのあり方が大きな転換点を迎えていることを示しており、日本の製造業にとっても重要な示唆を含んでいます。
第一に、サプライチェーンリスクの再評価です。半導体をはじめとする重要部品について、調達先が特定の国や地域に偏っていないか、改めて点検する必要があります。コストや効率だけでなく、地政学リスクや事業継続性(BCP)の観点から、調達先の多様化や国内生産への回帰を真剣に検討すべき時期に来ています。
第二に、品質保証におけるトレーサビリティの重要性の高まりです。サプライチェーンが複雑化・流動化する中で、使用する部品の出所や信頼性を担保する仕組みは、これまで以上に重要になります。自社の製品に組み込まれる部品が、どのような経路を辿ってきたのかを把握し、管理する体制の強化が求められます。
最後に、国内製造基盤の価値の再認識です。効率化を追求する中で海外に移転されてきた生産機能ですが、今回の動きは、国内に製造基盤を持つことの戦略的な価値を改めて浮き彫りにしました。安定した生産と供給は、企業の競争力だけでなく、国の安全保障にも直結する経営課題であるという認識が、今後ますます重要になるでしょう。


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