米国の最高裁判所が、長らく規制当局に広範な裁量権を与えてきた「シェブロン尊重」の原則を覆す歴史的な判決を下しました。この決定は、米国内で事業を展開する製造業の規制環境に大きな変化をもたらす可能性があり、今後の動向が注目されます。
米国最高裁、40年続いた判例を覆す歴史的判断
2024年6月、米国の連邦最高裁判所は、「Loper Bright Enterprises v. Raimondo」事件において、1984年から約40年間にわたり米国の行政法における基本原則とされてきた「シェブロン尊重」の判例を覆す決定を下しました。これは、米国の規制環境のあり方を大きく変える可能性を秘めた、極めて重要な判断と言えます。
「シェブロン尊重(Chevron deference)」とは、法律の条文があいまいな場合、所管する規制当局(例えば、環境保護庁EPAや労働安全衛生局OSHAなど)による専門的な解釈が合理的である限り、裁判所はその解釈を尊重すべきだとする法理です。この原則により、行政機関は法律の枠内で比較的広範な裁量権を持ち、具体的な規則を制定・運用してきました。しかし製造業の立場からは、この原則が時として予測不能で過剰な規制につながり、事業活動の足かせになっているとの批判も根強くありました。
全米製造業者協会(NAM)は「世代を超えた勝利」と歓迎
この最高裁の判断に対し、米国の製造業界を代表する全米製造業者協会(NAM)は、「世代を超えた勝利」であるとして、これを高く評価する声明を発表しました。NAMのティモンズ会長兼CEOは、シェブロン尊重が、議会が本来意図していなかったような過剰な規制を政府機関に許す「白紙委任状(blank check)」のように機能してきたと指摘。今回の判決により、規制の安定性と予見可能性が高まり、製造業が安心して米国内での投資や雇用創出を行えるようになるとの期待を表明しています。
NAMは長年にわたり、この判例の見直しを法廷内外で訴え続けてきました。彼らの主張は、規制当局の専門性を否定するものではなく、法律を制定するのは議会であり、その最終的な解釈を行うのは司法であるという、憲法に定められた三権分立の原則に立ち返るべきだという点にあります。
判決がもたらす実務的な変化
この判決により、今後の規制をめぐる法廷での争いはその性質が大きく変わることになります。これまでは、規制当局の解釈が「合理的かどうか」が主な争点でした。しかし今後は、裁判所が自ら、法律の条文に対する「最善の解釈は何か」を直接判断することになります。これにより、企業側は規制当局が定めた規則に対し、その根拠となる法律の解釈の妥当性そのものを、より積極的に裁判で争うことが可能になります。
米国で工場や事業拠点を運営する日本の製造業にとっても、この変化は無関係ではありません。特に、政権交代のたびに大きく方針が揺れ動く環境規制や労働安全規制などにおいて、行政の一方的な解釈に基づく急な規制強化のリスクが、司法によってある程度抑制される可能性が出てきた点は注目に値します。
今後の見通しと注意点
ただし、この判決が既存のすべての規制を直ちに無効にするわけではない点には注意が必要です。今後、個別の規制の有効性をめぐり、新たな訴訟が数多く提起される可能性があります。規制当局側も、将来の司法審査に耐えうるよう、より法律の文言に忠実で、客観的なデータに基づいた、慎重な規則制定を迫られることになるでしょう。
短期的には、規制の有効性をめぐる法的な混乱が生じる可能性も否定できません。しかし、長期的に見れば、行政の裁量が抑制され、議会が制定した法律の意図がより重視される、透明で安定した規制環境が構築されることが期待されます。
日本の製造業への示唆
今回の米最高裁の判断は、日本の製造業、特に米国で事業を展開する企業にとって、以下の点で重要な示唆を含んでいます。
1. 米国における規制環境の予見可能性向上:政権交代による規制方針の急激な変更リスクが、司法のチェック機能強化によって一定程度緩和される可能性があります。これにより、中長期的な設備投資や事業計画の策定において、規制リスクをより低く見積もることが可能になるかもしれません。
2. 法務・コンプライアンス体制の重要性の高まり:新たな規制や既存の規制解釈に対し、その法的根拠を問う訴訟という選択肢が、より現実的な対抗策となり得ます。米国拠点の法務部門や現地の法律専門家と密に連携し、規制動向を精査・評価する体制の重要性がこれまで以上に増すでしょう。
3. 長期的な事業戦略への追い風:規制の不確実性が低下することは、米国内での研究開発やサプライチェーン構築といった長期的な投資判断を後押しする要因となり得ます。特に、環境技術や新エネルギー分野など、規制動向に大きく左右される領域での事業展開において、追い風となる可能性があります。
4. グローバルな視点での注視:この判断は米国の国内法に関するものですが、世界最大の経済大国における規制哲学の転換は、国際的な標準化や規制調和の議論にも影響を及ぼす可能性があります。自社の事業に関連する分野での国際的な動向を、これまで以上に注視していく必要があります。


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