欧州特許庁(EPO)の審判部は、製品の特許性を判断する上で、その製造プロセスにおける技術的利点は直接考慮されない、という従来からの原則を再確認する決定を下しました。この判断は、高品質なものづくりを支える製造プロセスに強みを持つ日本の製造業にとって、グローバルな知財戦略を考える上で重要な示唆を与えます。
はじめに:欧州特許庁(EPO)の判断
欧州の特許制度を管轄する欧州特許庁(EPO)の審判部は、ある製品(物の発明)に関する特許の有効性を判断する際、その製品の「進歩性」は、あくまで製品そのものに内在する技術的な特徴に基づいて評価されるべきである、という判断を示しました。ここで言う「進歩性」とは、その発明が、その分野の専門家にとって既存の技術から容易に思いつくことができない、という特許の要件の一つです。今回の決定が意味するのは、たとえ革新的な製造プロセスによって作られた製品であっても、そのプロセスに由来する利点が最終製品の物理的・化学的特性として客観的に現れていなければ、製品自体の進歩性の根拠にはならない、ということです。
「製造方法の利点」と「製品の進歩性」の切り分け
この考え方は、特許の世界では基本的な原則です。特許は「発明」を保護するものですが、その対象によって「物の発明」と「方法の発明」に大別されます。今回のケースは、「物の発明」の特許を求める際に、「方法の発明」の利点を持ち込んで主張することはできない、という点を明確にしたものです。
例えば、ある新しい合金を考えてみましょう。従来よりも大幅に効率的な製造プロセスAを開発し、その結果として合金Bが完成したとします。しかし、もしこの合金Bが、成分や結晶構造といった物理的・化学的特性において、既に知られている合金Cと区別できない場合、合金Bは「物の発明」としての進歩性が認められない可能性が高い、ということです。たとえ製造プロセスAがどれほど画期的であっても、その工夫はあくまで「方法の発明」として評価されるべきであり、成果物である合金Bそのものが新規性や進歩性を持たない限り、製品として特許で保護することは難しいのです。
日本の製造現場への示唆:強みの裏にある知財戦略の課題
この原則は、日本の製造業にとって特に留意すべき点を含んでいます。日本のものづくりは、しばしば製造工程における「すり合わせ」の技術や、現場のカイゼン活動によって生み出される高品質な製品に強みがあります。同じ仕様の製品であっても、日本の工場で作られたものは耐久性や信頼性が高い、ということは決して珍しくありません。
しかし、その優位性が、例えば「特定の製造条件で加工したことによる内部応力の最適化」や「熟練工の感覚による微調整」といったプロセスに依存している場合、その結果としての製品の優位性を客観的な物理的特性として特許請求の範囲(クレーム)に記載し、証明することが困難な場合があります。見た目や基本的な組成が同じであれば、他社が異なる安価な製法で類似品を製造しても、特許権の行使が難しくなる可能性があります。つまり、「作り方の妙」だけでは、製品そのものを独占的に守ることはできないのです。
求められる知財戦略とは
この課題に対応するためには、開発・製造の初期段階から知財戦略を意識することが不可欠です。製造プロセスの工夫が、最終製品にどのような「痕跡(トレース)」として残るのかを深く分析する必要があります。例えば、特殊な熱処理によって、製品表面にごく微細な特殊な結晶構造が形成されるのであれば、その「結晶構造」を製品の特徴として特定し、特許出願に盛り込むべきです。これにより、製造方法と製品の技術的特徴が明確に結びつき、「物の発明」として保護される可能性が高まります。
また、製品自体の特許化が難しい場合は、その独自の「製造方法」を特許として保護する戦略も重要です。ただし、方法特許は、他社がその方法を秘密裏に使用している場合に侵害を立証するのが難しいという側面もあります。そのため、製品特許、方法特許、そして技術をノウハウとして秘匿する営業秘密管理など、複数の知財戦略を組み合わせ、事業内容に応じて最適化していく視点が求められます。
日本の製造業への示唆
今回のEPOの決定は、欧州市場で事業展開する企業にとって、特許戦略の基本を再認識させるものです。日本の製造業がこの教訓から得るべき実務的な示唆を以下に整理します。
1. 「物」と「方法」の特許は別物であることの再認識
製造プロセスの優位性は、直ちに製品の特許性には繋がりません。自社の技術的強みが「製造方法」にあるのか、それとも「製品そのものの特性」にあるのかを明確に区別し、それぞれに適した権利化戦略を立てる必要があります。
2. プロセスの工夫を製品の「特性」に落とし込む分析力
優れた製造プロセスが製品にもたらす優位性(例:高耐久性、高信頼性)を、測定可能な物理的・化学的パラメータ(例:特定の結晶構造、不純物含有率、表面粗さ)にまで落とし込むことが重要です。研究開発部門、生産技術部門、知財部門が密に連携し、製品の「痕跡」を特定する努力が求められます。
3. 知財ポートフォリオの複線化
「物の発明」として強力な特許を取得することが理想ですが、それが難しい場合は「方法の発明」としての特許化や、技術ノウハウの営業秘密としての保護も視野に入れるべきです。製品や市場の特性に応じて、これらの戦略を組み合わせることが事業を守る上で有効です。
4. グローバル基準での特許戦略立案
特に欧州のように、特許の判断基準が厳格に運用される市場では、日本の「ものづくり感覚」だけでは通用しない場合があります。各国の特許制度の思想や判例を理解し、それに適合した形で特許明細書を作成する専門性が、グローバルな競争力を左右します。


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