変動する貿易協定とサプライチェーンの再構築:地政学リスク時代に製造業の強靭性を高めるには

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グローバルな地政学リスクの高まりと保護主義的な動きは、製造業のサプライチェーンに深刻な影響を及ぼし始めています。本稿では、保険・リスクマネジメントの専門企業であるマーシュ社のポッドキャストを参考に、変動する貿易協定の中で企業がレジリエンス(強靭性)をいかに構築すべきか、実務的な観点から解説します。

地政学リスクと貿易協定の変動がもたらす新たな課題

米中間の対立や保護主義の台頭により、これまで安定していると見なされてきた国際貿易の枠組みは、大きく揺らいでいます。USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)やCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)といった主要な貿易協定は、関税率の変更だけでなく、より厳格な「原産地規則」を企業に課すようになりました。これは、どの国でどれだけの付加価値が生まれたかによって関税優遇の可否が決まるルールであり、その証明プロセスは非常に複雑です。ひとたびルールから逸脱すれば、想定外の関税コストが発生し、価格競争力を失うリスクに直結します。

日本の製造業においても、海外に生産拠点やサプライヤーを持つ企業にとって、これは決して他人事ではありません。これまで通りのやり方が通用しなくなりつつあるという認識を持つことが、すべての始まりと言えるでしょう。

サプライチェーンの「可視化」が第一歩

こうしたリスクに対応する上で、まず不可欠となるのが自社のサプライチェーンの「可視化」です。これは、Tier1と呼ばれる直接の取引先だけでなく、その先のTier2(二次サプライヤー)、Tier3(三次サプライヤー)まで遡って、どの国のどの企業から部品や原材料を調達しているのかを正確に把握する取り組みを指します。現場感覚で言えば、「この重要部品に使われている特殊な金属は、一体どの国の鉱山から来ているのか」というレベルまで掘り下げることに他なりません。

この可視化は、言うは易く行うは難し、というのが実情でしょう。しかし、この詳細なマップがなければ、特定の国や地域に供給が過度に集中している「チョークポイント(隘路)」を見つけ出すことはできません。また、複雑な原産地規則をクリアしているかどうかの検証も、このサプライチェーンマップがなければ事実上不可能です。

リスク評価とシナリオプランニングの実践

サプライチェーンの全体像が把握できたら、次に行うべきは具体的なリスクの評価です。可視化された情報をもとに、「特定の国からの輸入に25%の追加関税が課された場合、製品コストにどれだけ影響が出るか」「主要サプライヤーの工場がある地域で紛争が発生し、供給が半年間停止した場合、代替生産は可能か」といったシナリオを複数想定し、事業へのインパクトを定量的に試算します。

これは、自然災害などを想定した従来のBCP(事業継続計画)を、地政学リスクや貿易摩擦といった新たな脅威に対応させる形で拡張する活動と捉えることができます。机上の空論で終わらせず、具体的な金額や期間に落とし込むことで、対策の優先順位が明確になります。

調達戦略の多様化と契約の見直し

シナリオ分析によってリスクが明確になれば、具体的な対策へと移行します。最も重要なのは、調達先の多様化です。特定の国や一社に依存する体制から脱却し、複数の国や地域に供給元を分散させる「マルチソース化」が基本となります。近年注目されるニアショアリング(近隣国への生産移管)やリショアリング(国内回帰)も、この文脈で検討されるべき選択肢です。

ただし、生産拠点の移管やサプライヤーの変更は、品質の維持、技術の移転、コストの増大など、多くの課題を伴います。短期的な視点だけでなく、中長期的な安定供給と品質確保のバランスを慎重に判断する必要があります。また、既存のサプライヤーとの契約内容を見直し、急な関税の発生や原材料価格の高騰といった事態に備え、コスト負担のあり方などを定めた条項を盛り込んでおくことも、リスクを分担する上で有効な手段です。

日本の製造業への示唆

今回のテーマから、日本の製造業が実務レベルで取り組むべき要点を以下に整理します。

1. サプライチェーンの再点検と可視化の徹底
自社の供給網を、一次取引先だけでなく、二次、三次へと遡って把握するプロジェクトを立ち上げるべきです。特に、地政学的に不安定な地域や、特定国への依存度が極端に高い重要部品・原材料の有無を洗い出すことが急務です。

2. 原産地規則への対応力強化
FTA/EPA等の貿易協定を最大限活用するためには、複雑な原産地規則への正確な理解と対応が不可欠です。これは調達部門だけの課題ではなく、経理や法務部門とも連携し、専門知識を持つ人材の育成や外部専門家の活用を検討すべきです。

3. リスクシナリオの具体化と定例的な見直し
「台湾有事」「資源ナショナリズムによる禁輸措置」といった漠然としたリスクを、自社の事業に与える具体的な影響(コスト増、生産停止期間など)に落とし込むシナリオ分析を定常的に行う体制を構築することが望まれます。経営層も参加し、全社的な課題として認識を共有することが重要です。

4. 調達・生産ポートフォリオの最適化
コスト一辺倒の調達戦略を見直し、安定供給、リードタイム、品質、そして地政学リスクといった複数の要素を考慮した「ポートフォリオ」の考え方で、調達・生産拠点を組み合わせる視点が求められます。コスト競争力だけでなく、供給の安定性という観点から、国内生産の価値を再評価する好機とも言えるでしょう。

サプライチェーンの強靭性を高める取り組みは、一朝一夕には完成しません。しかし、不確実性が常態化した現代において、それはもはやコストではなく、事業を継続させるための不可欠な投資であると認識する必要があるでしょう。

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