トランプ前大統領がフォードの工場を訪問し、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)などの通商政策について語った出来事は、政治が製造業の現場に与える影響を象徴しています。この出来事を基に、グローバルなサプライチェーンを持つ日本の製造業が直面する課題と、今後の備えについて考察します。
政治と製造業の密接な関係
米国の歴代大統領が、デトロイトに代表される中西部の自動車工場を訪問することは、決して珍しいことではありません。この地域は「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」とも呼ばれ、製造業の雇用が選挙の行方を左右する重要な地域だからです。特に、トランプ前大統領は「アメリカ・ファースト」を掲げ、製造業の国内回帰を強く訴えていました。彼のフォード工場訪問は、自国の製造業を保護し、雇用を守るという政治的なメッセージを国内外に示す象徴的な行動であったと理解できます。
日本の製造業、特に米国に大規模な生産拠点を構える自動車産業や関連部品メーカーにとって、こうした米国の政策動向は決して対岸の火事ではありません。大統領の発言一つ、政策一つが、生産計画やサプライチェーン、ひいては事業全体の収益性に直接的な影響を及ぼす可能性があるからです。
USMCAが突きつけた課題
演説で触れられたUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)は、NAFTA(北米自由貿易協定)に代わる新たな枠組みです。この協定で特に注目されたのが、自動車分野における「原産地規則」の厳格化でした。具体的には、乗用車に課される関税をゼロにするためには、部品の域内(北米)調達率を従来の62.5%から75%に引き上げること、そして時給16ドル以上の労働者が生産した部品を一定割合使用すること(労働価値比率)などが盛り込まれました。
この変更は、北米に生産拠点を展開する日本の自動車メーカーおよびサプライヤーにとって、非常に大きなインパクトがありました。これまでメキシコやアジア諸国から調達していた部品を、急遽、北米域内からの調達に切り替えるか、あるいは現地での内製化を進める必要に迫られたのです。これは単なる調達先の変更に留まらず、新たなサプライヤーの選定・評価、品質保証体制の再構築、そしてコスト上昇への対応など、生産技術から購買、経営企画に至るまで、全社的な対応が求められる複雑な課題でした。
グローバルサプライチェーンの再構築
トランプ政権下の政策は、効率性を最優先にグローバルに張り巡らされてきたサプライチェーンの脆弱性を浮き彫りにしました。特定の国や地域への過度な依存が、通商政策や地政学的な変動によっていかに大きなリスクとなり得るかを、多くの企業が痛感したことでしょう。
日本の製造現場では、長年にわたり「ジャストインタイム」に代表されるリーンな生産方式を追求し、最適化されたサプライチェーンを構築してきました。しかし、こうした政治的な不確実性が高まる現代においては、コストや効率性だけでなく、「強靭性(レジリエンス)」という観点からサプライチェーンを再評価する必要性が高まっています。生産拠点の分散や調達先の複線化、在庫レベルの見直しといった対策は、短期的なコスト増につながるかもしれませんが、長期的な事業継続性を担保する上では不可欠な投資と言えます。
日本の製造業への示唆
今回の事象から、日本の製造業に携わる我々が得るべき実務的な示唆は、以下の点に集約されると考えられます。
1. 地政学リスクの常態化と情報収集の重要性:
保護主義的な通商政策は、特定の政権に限った話ではなく、今後も形を変えて世界各地で発生しうる経営上のリスクです。各国の政治・経済動向や法規制の変更に関する情報を常に収集し、自社の事業への影響を分析・評価する体制を強化することが不可欠です。
2. サプライチェーンの強靭化(レジリエンス):
コスト効率一辺倒のサプライチェーンから、リスク分散を考慮した強靭なサプライチェーンへの転換が求められます。主要部品の調達先を複数確保する、あるいは生産拠点を地政学的に異なる地域へ分散させる「チャイナ・プラスワン」や「フレンド・ショアリング」といった考え方を、自社の事業特性に合わせて具体的に検討すべきでしょう。
3. 現地化(ローカリゼーション)の深化:
USMCAの原産地規則が示したように、単に最終組立を現地で行う「Made in Market」だけでなく、部品調達や場合によっては設計開発まで現地で行う、より深いレベルでの現地化が重要性を増しています。これにより、関税リスクを回避するだけでなく、現地のニーズに迅速に対応し、為替変動の影響を抑制することにも繋がります。
政治の動向が工場の稼働や部品の調達に直結する時代です。経営層から現場のリーダーまで、自社の事業がどのような外部環境のリスクに晒されているかを正しく認識し、先を見据えた手を打っていくことが、持続的な成長のために不可欠と言えるでしょう。


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