韓国のサムスン・バイオロジクス社が、約2億8000万ドル(約440億円)を投じて米国カリフォルニア州のバイオ医薬品工場を買収しました。この動きは、医薬品受託開発製造(CDMO)事業におけるグローバル供給網の再編と、地政学リスクへの対応を加速させるものです。日本の製造業にとっても、サプライチェーン戦略や海外拠点展開の手法を考える上で重要な事例と言えるでしょう。
サムスンによる米国製造拠点の買収
韓国のサムスン・バイオロジクス社は、米国の製薬大手ブリストル・マイヤーズ・スクイブ(BMS)社がカリフォルニア州バカビルに所有していた大規模なバイオ医薬品製造施設を、約2億8000万ドルで買収したことを発表しました。これにより、同社は米国で初となる自社製造拠点を確保することになります。この工場は、医薬品の有効成分である原薬(API)の製造能力を持ち、今後の拡張性も備えているとされています。
買収の背景にあるグローバル戦略
この買収の背景には、サムスン・バイオロジクスが世界有数の医薬品受託開発製造(CDMO)企業として、グローバルな供給体制を強化する明確な狙いがあります。主な目的は以下の3点に集約できると考えられます。
1. 主要市場への近接性: 北米は世界最大の医薬品市場であり、多くの大手製薬企業が拠点を置いています。米国内に生産拠点を持つことで、主要顧客との物理的な距離が縮まり、開発から製造までの連携をより緊密に行えるようになります。これは、リードタイムの短縮や輸送コストの削減だけでなく、顧客との信頼関係構築においても有利に働きます。
2. サプライチェーンの強靭化: 近年のパンデミックや地政学的な緊張の高まりは、医薬品のような戦略物資のサプライチェーンがいかに脆弱であるかを浮き彫りにしました。各国で自国や同盟国内での生産を重視する動きが強まる中、米国での生産能力を確保することは、経済安全保障上のリスクを低減し、安定供給を維持するための重要な一手となります。
3. 迅速な事業展開: 新たに医薬品工場を建設する場合、用地の確保から設計、建設、そして規制当局からの許認可取得やバリデーション(適格性評価)完了までには、数年単位の長い時間が必要です。今回のように稼働実績のある工場を買収する「ブラウンフィールド投資」は、その時間を大幅に短縮し、速やかに事業を開始できるという大きな利点があります。特に、熟練した人材を施設ごと引き継げる可能性もあり、人材確保という点でも合理的な選択と言えるでしょう。
日本の製造業への示唆
今回のサムスンの動きは、日本の製造業、特にグローバルに事業を展開する企業にとって、いくつかの重要な示唆を含んでいます。
1. サプライチェーン戦略の再評価:
コスト効率のみを追求したグローバルなサプライチェーンは、予期せぬ混乱に対して脆弱です。自社の製品や事業の特性を考慮し、地政学リスクや経済安全保障の観点から、生産拠点の地理的な分散や主要市場での現地生産(地産地消)の重要性を改めて検討すべき時期に来ています。特に、半導体や医薬品、重要鉱物など、国家戦略に関わる分野ではこの傾向がより顕著になるでしょう。
2. 海外展開におけるM&Aの有効性:
海外での拠点確保において、自社でゼロから工場を立ち上げる「グリーンフィールド投資」だけでなく、既存の工場や企業を買収するM&Aも、時間を買うための極めて有効な選択肢です。特に、許認可や専門人材の確保が事業の成否を分ける業界では、今回の事例のように、稼働中の施設を一体として取得するメリットは計り知れません。自社の海外戦略において、こうした手法をより積極的に検討する価値は高いと言えます。
3. 成長分野への大胆な投資判断:
サムスンは、主力である半導体事業と並行し、バイオ医薬品という将来の成長分野に継続的かつ大規模な投資を行っています。今回の買収もその一環です。日本の製造業も、既存事業の改善・効率化に留まらず、将来の事業ポートフォリオを見据え、成長が見込まれる新領域へ大胆に経営資源を投下していく意思決定が、グローバルな競争環境で生き残るために不可欠です。

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