スマイルカーブの功罪:米国製造業の衰退が問いかける、製造の真の価値

global

バリューチェーンにおける付加価値の分布を示した「スマイルカーブ」。この理論は、多くの企業に研究開発やブランディングへの注力を促しましたが、一方で製造部門の軽視と空洞化を招いたという指摘があります。米国製造業の事例から、日本のものづくりが再認識すべき価値について考察します。

スマイルカーブ理論とその影響

1990年代に提唱された「スマイルカーブ」という概念をご存知の方は多いでしょう。これは、製品が顧客に届くまでのバリューチェーンにおいて、付加価値がどの工程で生まれるかを示したものです。カーブの両端に位置する「研究・開発・設計」といった上流工程と、「マーケティング・販売・サービス」といった下流工程の付加価値は高く、中間に位置する「製造・組み立て」工程の付加価値は低い、という考え方です。グラフにすると両端が上がった笑顔のように見えることから、この名が付きました。

この理論は、特に米国の多くの企業経営者に大きな影響を与えました。限られた経営資源を、付加価値の高いとされる上流・下流工程に集中させ、付加価値が低いと見なされた製造工程は、コストの安い海外へアウトソーシング(外部委託)する。いわゆる「ファブレス化」やオフショアリングという経営判断を後押しする、強力な理論的支柱となったのです。その結果、企業はブランド価値や知的財産で利益を上げる一方、自社の工場や生産設備を手放す動きが加速しました。

見過ごされた「製造」の戦略的価値

しかし、Asia Timesの記事は、このスマイルカーブ理論が「測るべきものを間違っていた」と指摘し、米国製造業が空洞化する一因になったと論じています。スマイルカーブは、あくまで特定の時点での付加価値を静的に捉えたものに過ぎず、製造工程が持つ動的な、そして戦略的な価値を見過ごしていたというのです。

日本の製造業の現場にいる方々なら、製造が単なる「組み立て」ではないことを肌で感じているはずです。製造工程には、品質を安定させ、コストを削減し、納期を遵守するための無数のノウハウや改善活動が凝縮されています。また、設計図面を現実の製品へと具現化する過程で生まれる課題や気づきは、次の製品開発にフィードバックされ、競争力の源泉となる「摺り合わせ」の能力を育みます。設計部門と製造現場が切り離されることで、こうした貴重な知見の循環が断ち切られてしまうのです。

製造能力を外部に依存することは、サプライチェーンの脆弱化にも直結します。近年のパンデミックや地政学的な緊張の高まりによって、グローバルな供給網がいかに脆いものであるかが明らかになりました。自国内や自社グループ内に生産拠点を失うことは、こうした有事の際に安定供給を維持する能力を失うことと同義であり、事業継続上の大きなリスクとなります。

空洞化がもたらしたもの

米国では、製造業の空洞化が、技術・技能の喪失や国内雇用の減少といった深刻な問題を引き起こしました。一度失われた生産基盤や、そこで働く人々の熟練した技術を再び取り戻すことは、決して容易ではありません。スマイルカーブが示した「笑顔」の裏側で、ものづくりの根幹が静かに蝕まれていた、というのが記事の警鐘と言えるでしょう。

これは、対岸の火事ではありません。日本の製造業もまた、コスト競争の中で生産拠点の海外移転を進めてきました。スマイルカーブの論理に抗し、国内でのものづくりにこだわり続けてきた企業がある一方で、その判断に揺らいだ経験を持つ経営者や技術者も少なくないはずです。米国の事例は、付加価値という一面的な指標だけで製造の価値を判断することの危うさを、改めて私たちに突きつけています。

日本の製造業への示唆

今回の議論から、日本の製造業が再確認すべき要点と実務への示唆を以下に整理します。

1. 製造現場の価値の再定義
製造現場を単なるコストセンターとしてではなく、品質、コスト、納期(QCD)を磨き込み、新たな技術革新を生み出す「価値創造の源泉」として再評価することが不可欠です。現場の改善活動や技能伝承の重要性を、経営層が改めて認識する必要があります。

2. 設計と製造の連携強化
日本のものづくりの強みである「摺り合わせ」の能力を、今後も維持・強化していくべきです。開発・設計部門と製造現場との物理的な距離が離れている場合でも、デジタル技術を活用するなどして、密な情報連携とフィードバックの仕組みを再構築することが求められます。

3. サプライチェーンの強靭化(レジリエンス)
短期的なコスト効率のみを追求するのではなく、地政学リスクや自然災害なども考慮に入れた、強靭で持続可能なサプライチェーンの構築が重要です。国内生産拠点の維持・強化や、生産地の複線化など、より戦略的な視点での拠点配置を検討すべき時期に来ています。

4. 長期的な視点での経営判断
スマイルカーブのような短期的な付加価値分析に過度に依存するのではなく、製造能力がもたらす長期的な競争力や技術基盤の維持といった、目に見えにくい価値を正しく評価する経営判断が求められます。ものづくりの根幹を自社の内に持ち続けることの戦略的重要性を、改めて問い直す必要があります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました