米政権がカナダ産木材に課した関税は、国内の林業を保護する目的で導入されました。しかし、メイン州の現場では、意図とは逆に苦境に陥る事態が発生し、グローバルサプライチェーンの複雑さと相互依存の現実を浮き彫りにしています。
導入:国内産業保護を目的とした関税
米国の前政権は、国内の製材業者を保護し、林業を活性化させることを目的に、隣国カナダから輸入される針葉樹材に対して高い関税を課しました。安価なカナダ産木材の流入を抑制することで、米国内の木材価格を安定させ、国内の供給者に公正な競争環境を提供するというのが、政策の主な狙いであったと言えます。
こうした保護主義的な政策は、一見すると対象となる国内産業にとって有益であるように思われます。しかし、国境を越えて複雑に絡み合ったサプライチェーンの現実の前では、必ずしも意図した通りの結果になるとは限りません。メイン州の林業が直面した状況は、その典型的な事例と言えるでしょう。
意図せざる結果:メイン州の林業が直面した逆風
メイン州の林業関係者にとって、この関税は追い風になるどころか、むしろ逆風となりました。その背景には、木材市場の構造と、米国とカナダの国境をまたぐサプライチェーンの深い相互依存関係があります。
実は、メイン州の林業は、高品質な製材用の木材だけでなく、製紙工場でパルプの原料となるような、比較的低品質な木材の供給にも大きく依存していました。そして、その低品質な木材の主要な買い手は、国境の向こう側にあるカナダの製紙工場や製材所だったのです。
米国がカナダ産の高品質な製材用木材に関税をかけた結果、カナダの製材所の経営は圧迫されました。そのあおりを受け、カナダの工場はメイン州から調達していた低品質な木材の買い付けを減らしたり、買い取り価格を大幅に引き下げたりする動きに出ました。つまり、米国の製材業者を保護するための関税が、回り回って、同じ米国の林業従事者(特に低品質材の供給者)の収入を直撃するという、皮肉な結果を招いたのです。
サプライチェーンの複雑性と相互依存の現実
この事例が示すのは、「木材」という一つの産品であっても、その品質や用途によってサプライチェーンの構造が全く異なるという事実です。高品質な製材用木材の市場と、低品質なパルプ用木材の市場は、連動はしているものの、買い手も売り手も異なる、別個のエコシステムを形成しています。
政策立案者が一方の市場(製材用木材)に介入したことで、もう一方の市場(パルプ用木材)に予期せぬ負の影響が及んでしまいました。これは、自社の製品がサプライチェーンの川下で「誰に」「どのように」使われているのかを正確に把握することの重要性を示しています。メイン州の木こりにとって、カナダの製紙・製材工場は重要な「顧客」であり、その顧客の経営状況が悪化すれば、自らの事業も立ち行かなくなるのは当然のことでした。
我々日本の製造業においても、これは他人事ではありません。例えば、ある特定の化学原料の輸入を制限する政策が施行されたとします。国内の同原料メーカーは一時的に潤うかもしれませんが、その原料を安価に仕入れて高付加価値な最終製品を製造していた国内メーカーは、深刻なコスト増に直面する可能性があります。サプライチェーンは、部分最適の追求が必ずしも全体最適につながらない、複雑な連鎖構造を持っているのです。
日本の製造業への示唆
このメイン州の事例は、グローバルな事業環境における通商政策のリスクと、サプライチェーン管理のあり方について、我々日本の製造業関係者にいくつかの重要な示唆を与えてくれます。
1. サプライチェーンの全体像の可視化と理解
自社の直接の顧客や仕入先だけでなく、その先の「顧客の顧客」や「仕入先の仕入先」まで含めた、サプライチェーン全体の構造を理解することが不可欠です。自社製品の最終的な用途や、川上・川下の経済的な連関を把握することで、一見無関係に見える外部環境の変化が自社に与える影響を予測しやすくなります。
2. 通商政策の多面的な影響評価
関税や輸入規制といった通商政策は、短期的・直接的な影響だけでなく、サプライチェーン全体を通じて波及する長期的・間接的な影響を慎重に評価する必要があります。特に、海外に生産拠点や販売先を持つ企業にとっては、各国の政策変更が自社のグローバルな生産・販売ネットワークにどのような副作用をもたらすか、多角的に分析する視点が求められます。
3. 特定市場・特定顧客への依存リスクの再点検
今回の事例では、メイン州の林業がカナダの特定地域の工場群に大きく依存していたことが、問題を深刻化させました。自社の事業ポートフォリオを点検し、特定の国、特定の顧客、あるいは特定の製品グレードへの依存度が高すぎないかを確認することは、地政学リスクが高まる現代において極めて重要です。販売先の多様化や、製品の高付加価値化による価格交渉力の強化など、事業の頑健性(レジリエンス)を高める取り組みが求められます。
4. 地政学リスクを織り込んだ事業継続計画(BCP)
国際的な通商摩擦は、もはや突発的なイベントではなく、事業運営における常態的なリスクとなりつつあります。こうした地政学リスクを、自然災害などと同様にBCP(事業継続計画)の中に明確に位置づけ、代替調達・生産・販売ルートの確保といった具体的な対策を平時から検討・準備しておくことの重要性は、ますます高まっていると言えるでしょう。


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