英国の食品工場で、一人の作業員がパイナップルの皮むきとスライスでギネス世界記録を達成しました。この一見特殊な事例は、日本の製造業が改めて向き合うべき、熟練技能の価値、人と設備の最適な関係、そして現場起点のカイゼンの重要性を浮き彫りにしています。
人の手による「神業」が示す生産性の限界突破
英国の食品加工会社フレッシュ・デルモンテ社の工場で、ドミニカ・ガスパロヴァ氏という一人の作業員が、パイナップルの皮むきとスライス作業においてギネス世界記録を更新したというニュースが報じられました。公開された映像では、驚くべき速さと正確さで、無駄のない一連の動作でパイナップルが次々と処理されていきます。このような卓越した技能は、単なる「個人の神業」として片付けてしまうべきではありません。むしろ、そこには製造現場における生産性向上の本質的なヒントが隠されています。
熟練技能の背景にある、徹底された標準と改善
この記録的な作業効率は、個人の才能だけで達成されたものではないと考えられます。おそらく、その背景には、長年の経験を通じて最適化された「標準作業」が存在するはずです。どの角度でナイフを入れ、どの力加減で皮を剥き、どのような順序で芯を抜いてスライスするのか。一連の動作が、思考を介さずに実行できるレベルまで身体に染み付いている様子は、日本の製造業が大切にしてきた「型」の重要性を改めて示唆しています。また、使用されている専用のナイフや作業台も、この作業のためだけに工夫が凝らされた治具の一種と見ることができます。作業者の技能と、それを最大限に引き出すための道具の改善。この両輪が噛み合うことで、初めて世界レベルの生産性が生まれるのです。
自動化が最適解とは限らない現実
「なぜこれほど単純な反復作業を自動化しないのか」という疑問を持つ方もいるかもしれません。しかし、パイナップルのような農産物は、一つひとつのサイズ、形状、熟度が微妙に異なります。これらの個体差をセンサーで瞬時に認識し、ロボットアームで柔軟かつ高速に処理する自動化設備は、技術的には可能であっても、導入と維持に莫大なコストがかかります。特に、多品種を扱う現場や、原料の仕様が変わりやすい工程においては、熟練した人間の「目」と「手」が持つ柔軟性と判断力の方が、コストパフォーマンスに優れるケースは少なくありません。すべての工程を自動化することがゴールではなく、人と機械の最適な役割分担を見極めることこそ、生産技術の要諦と言えるでしょう。
個人の技能を組織の力へ転換する仕組み
このような卓越した技能を持つ人材は、どの工場にも「あの人にしかできない」仕事として存在するものです。しかし、重要なのは、その属人化した技能をいかにして組織全体の資産に変えていくかという視点です。今回のギネス記録への挑戦というイベントは、従業員のモチベーションを高め、技能への誇りを醸成する上で非常に優れた取り組みです。さらに一歩進んで、彼らの作業を映像で記録・分析し(モーション分析)、動作の要点をマニュアル化することで、他の作業員への教育や技能伝承に繋げることができます。優れた技能を正当に評価するマイスター制度のような仕組みも、組織全体の技能レベルを底上げする上で有効な手段となります。
日本の製造業への示唆
今回の事例は、私たち日本の製造業関係者にいくつかの重要な視点を提供してくれます。
第一に、熟練技能の再評価です。DXやAIによる自動化が加速する中にあっても、人間にしか到達できない技能の領域は存在します。その価値を正しく認識し、技能者を尊重し、育成する文化を維持・強化していく必要があります。
第二に、人と設備の最適な協調の追求です。最新鋭のロボットを導入することだけが能率改善ではありません。作業者の能力を最大限に引き出すための治具の工夫や作業環境の整備といった、地道なカイゼン活動の中に、コストをかけずに生産性を向上させるヒントが数多く眠っています。
最後に、技能の可視化と標準化の重要性です。一人の熟練者の「暗黙知」を、映像分析や手順書といった「形式知」に転換し、組織全体で共有する努力が不可欠です。それこそが、個人の力に依存しない、持続可能で強い現場を構築するための礎となるでしょう。

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