米国で、サプライチェーン分野における退役軍人の就業を促進する法案が審議されています。この動きは、サプライチェーンを国家の重要インフラと位置づけ、多様な人材を確保しようとする米国の姿勢を浮き彫りにしています。本稿では、この法案の背景と、日本の製造業が学ぶべき点について考察します。
米下院を通過したサプライチェーン人材関連法案
先日、米国の下院で、連邦政府機関に対して退役軍人がサプライチェーン関連の職に就く際の障壁を特定し、撤廃することを義務付ける法案が可決されました。この法案は、国家の安全保障や経済活動に不可欠なサプライチェーンの担い手を確保することが、喫緊の国家的課題であるとの認識を示しています。単なる一法案として捉えるのではなく、国が主導して特定分野の人材確保に乗り出しているという点に注目すべきでしょう。
なぜ退役軍人がサプライチェーンに適任とされるのか
法案の背景には、軍務経験者が持つスキルセットがサプライチェーン管理業務と高い親和性を持つという考え方があります。軍隊における兵站(ロジスティクス)は、物資の調達、輸送、在庫管理、配分といった、まさにサプライチェーンそのものです。軍務経験者は、以下のような能力を実務で培っていると考えられます。
- 規律と遂行能力: 指示された任務を、定められた手順と時間内に確実にやり遂げる能力。
- ストレス耐性: 予期せぬトラブルやプレッシャーのかかる状況下でも、冷静に判断し、行動できる精神力。
- チームワークとリーダーシップ: 明確な指揮系統のもとで、チームの一員として、あるいはリーダーとして協調して動く経験。
- 問題解決能力: 物資の不足や輸送の遅延といった不測の事態に対し、限られたリソースで最適な解決策を見出す実践的な能力。
これらの能力は、今日の複雑で変動の激しいサプライチェーンの現場でこそ求められるものです。日本の製造現場においても、自衛隊出身者がその規律正しさや責任感の強さから高く評価されるケースは少なくありません。米国ではこれをさらに一歩進め、国家レベルで人材プールとして活用しようという意図がうかがえます。
想定される「障壁」とその撤廃が意味すること
法案が指摘する「障壁」とは、具体的に何を指すのでしょうか。これは、日本企業が多様な人材を採用・活用する上でも共通する課題を示唆しています。
一つは、軍隊での経験や資格が、民間企業でそのまま評価・通用しにくいという「資格やスキルの互換性」の問題です。例えば、軍で大型車両の運転や高度な通信機器の操作経験があっても、民間の資格に変換する手続きが煩雑であったり、そもそも評価の仕組みがなかったりするケースが考えられます。また、軍隊特有の組織文化と民間企業の文化とのギャップに、本人が馴染めない、あるいは企業側が馴染ませる努力を怠るといった「文化的な障壁」も存在するでしょう。
法案が連邦機関にこれらの障壁の特定と撤廃を義務付けるということは、国が主導して、軍務経験を民間の職務要件に読み替える基準作りや、再教育・研修プログラムの整備、企業への啓発活動などに取り組む可能性を示しています。これは、個々の企業の努力だけに任せるのではなく、社会システムとして人材を循環させようという強い意志の表れです。
日本の製造業への示唆
今回の米国の動きは、サプライチェーン人材の確保に課題を抱える日本の製造業にとっても、多くの示唆を含んでいます。以下に要点を整理します。
1. サプライチェーン人材を経営資源として再定義する
米国が国家レベルで取り組んでいるように、サプライチェーンの担い手は単なる作業者ではなく、事業継続を支える重要な経営資源です。人口減少が進む日本では、人材の確保は今後ますます困難になります。調達、生産管理、物流、品質管理といった各部門の人材をいかに育成し、定着させるか、改めて経営戦略の中心に据えて検討する必要があります。
2. 未開拓の人材プールに目を向ける
退役軍人という特定の人材プールに着目した米国の事例は、我々がこれまで見過ごしてきた人材に目を向けるきっかけとなります。日本では、例えば自衛隊退職者はもちろんのこと、結婚や出産で一度離職した女性、経験豊富なシニア層、あるいは特定のスキルを持つ外国人材など、潜在的な能力を持つ多様な人材層が存在します。彼らが持つ独自の経験やスキルをいかに発掘し、製造現場の力として活かせるかを考えるべきです。
3. 能力発揮を阻む「社内の障壁」を撤廃する
最も重要なのは、多様な人材を受け入れた後、彼らが能力を最大限に発揮できる環境を整えることです。旧来の年功序列や画一的なキャリアパス、あるいは特定の価値観に基づいた評価制度などが、新しい人材の活躍を阻む「障壁」になっていないでしょうか。職務内容の明確化(ジョブディスクリプション)、スキルに基づいた公正な評価、柔軟な働き方の導入、個々の事情に合わせた研修制度の設計など、社内の仕組みを見直すことが、真の人材活用につながります。
今回の米国の法案は、遠い国の話としてではなく、自社の人材戦略や組織のあり方を問い直す良い機会として捉えることができるでしょう。

コメント