パンデミックが問い直すサプライチェーンの在り方:ワクチン供給網から学ぶ強靭化の要諦

世界中を混乱に陥れたパンデミックは、効率性を追求してきた現代のサプライチェーンが、いかに予測不能な事態に脆弱であるかを浮き彫りにしました。特に、ワクチンという重要物資の供給網が直面した課題は、日本の製造業全体にとっても、決して他人事ではありません。本稿では、この事例を深く掘り下げ、これからの時代に求められる強靭なサプライチェーン構築のポイントを解説します。

サプライチェーンの「効率性」と「脆弱性」の表裏一体

これまで日本の製造業は、ジャストインタイム(JIT)に代表されるように、在庫を極限まで削減し、リードタイムを短縮することで、高い効率性とコスト競争力を実現してきました。この思想は、安定した国際情勢と物流網を前提としており、長年にわたり成功モデルとされてきました。しかし、パンデミックによるロックダウン、物流の停滞、そして国家間の物資囲い込みといった事態は、その前提を根底から覆しました。特定の地域やサプライヤーに依存する「効率的な」サプライチェーンは、ひとたび寸断されると機能不全に陥るという脆弱性を露呈したのです。これは、半導体不足やコンテナ不足で多くの企業が経験したことでもあります。

ワクチン供給網が示す特有の課題と普遍的な教訓

インフルエンザワクチン、特に新型コロナウイルスワクチン(mRNAワクチン等)のサプライチェーンは、その特殊性から多くの教訓を与えてくれます。例えば、マイナス70度といった超低温での保管・輸送が求められる「コールドチェーン」の管理は、極めて高度な技術とインフラを必要とします。また、パンデミック下では需要が世界規模で爆発的に増加する一方、原材料の供給や生産能力には限りがあり、需給ギャップが深刻化しました。さらに、各国政府が自国優先の姿勢を強め、輸出規制に踏み切ったことは、地政学リスクがサプライチェーンに直接的な影響を及ぼすことを明確に示しました。

これらの課題は、医薬品業界特有のものに見えるかもしれません。しかし、「厳格な品質・温度管理」「急激な需要変動への対応」「地政学リスク」といった要素は、形を変えてあらゆる製造業に共通する課題です。例えば、精密機器における温湿度管理、新製品発売時の需要急増、米中対立に起因する調達リスクなど、思い当たる現場も多いのではないでしょうか。ワクチンの事例は、こうしたリスクが極端な形で顕在化したものと捉えることができます。

強靭なサプライチェーンを構築するための4つの視点

では、不確実性の高い時代において、どのようにサプライチェーンを強靭なものへと変革していけばよいのでしょうか。以下の4つの視点が重要になると考えられます。

1. サプライチェーンの「可視化」: まずは、自社のサプライチェーンの全体像を正確に把握することが不可欠です。一次サプライヤー(Tier1)だけでなく、その先の二次、三次(Tier2, Tier3)のサプライヤーまで遡り、どこにどのようなリスクが潜在しているのかを地図のように描き出す必要があります。近年では、IoTやブロックチェーンといったデジタル技術を活用し、リアルタイムでモノの動きや在庫状況を可視化する取り組みも進んでいます。

2. 供給網の「多様化・複線化」: 特定の国や地域、一社のサプライヤーに依存する状態は、大きなリスクを伴います。生産拠点や調達先を地理的に分散させる「チャイナ・プラスワン」のような考え方に加え、同じ部品でも複数のサプライヤーから調達できる体制を構築することが重要です。もちろん、品質の維持やコスト管理の観点から容易なことではありませんが、事業継続の観点から戦略的に検討すべき課題です。

3. 適度な「冗長性」の確保: 効率化の観点から削減対象とされてきた「在庫」の役割を、再評価する必要があります。すべての品目で過剰な在庫を持つことは現実的ではありませんが、供給が途絶した場合に事業への影響が大きい重要部品については、一定の戦略的在庫(バッファー在庫)を持つという判断が求められます。これは、効率一辺倒の「ジャストインタイム」から、有事をも想定した「ジャストインケース」への発想の転換と言えるでしょう。

4. サプライヤーとの「連携強化」: サプライヤーを単なるコスト削減の対象として見るのではなく、リスク情報を共有し、共に課題解決に取り組むパートナーとして、より強固な関係を築くことが不可欠です。平時から密なコミュニケーションを取り、BCP(事業継続計画)の共有や共同訓練などを行うことで、有事の際の対応力は格段に向上します。

日本の製造業への示唆

パンデミックを経て、サプライチェーンマネジメントの前提は大きく変わりました。これからの製造業経営においては、従来の効率性やコストという指標に加え、「強靭性(レジリエンス)」という新しい物差しが不可欠となります。最後に、実務における要点を整理します。

・効率性と強靭性のバランスの再定義: これまでの効率性追求が間違っていたわけではありません。しかし、その裏側にあった脆弱性を認識し、自社の事業特性に合わせて、どこまでリスクテイクし、どこに保険をかけるのか、経営レベルでの意思決定が求められます。コスト増を許容してでも、供給の安定性を優先すべき領域を見極める必要があります。

・BCPの再構築とサプライチェーンリスクの組み込み: 従来のBCPは、自社の拠点が被災するケースを想定したものが中心でした。今後は、自社は無傷でもサプライヤーの被災や物流の寸断によって事業が停止する、「サプライチェーン起因の事業中断リスク」を具体的に想定し、計画に織り込むことが重要です。

・デジタル化の戦略的活用: サプライチェーンの可視化やリスク分析において、デジタル技術は強力な武器となります。ただし、ツール導入そのものが目的化しないよう注意が必要です。何のために、どの範囲の情報を可視化し、得られたデータをどのように意思決定に活かすのか、明確な戦略を持って投資判断を行うべきです。

強靭なサプライチェーンの構築は、一朝一夕に成し遂げられるものではありません。しかし、この課題への取り組みは、企業の競争力を左右するだけでなく、社会全体の安定に貢献する重要な責務であると、私たちは認識すべき時期に来ています。

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